睡蓮の長いまどろみ
みなさんにまとめていただいた読後感想です。これから読もうかなと思っている方や文庫化まで楽しみに待っている方への参考になると思います。
引き続き募集していますので、メールや掲示板で投稿してください。
「睡蓮の長いまどろみ」を読んで 投稿日 2000年12月31日(日)20時06分 投稿者 友 [] 削除
いつもそうなのですが、輝先生の作品によって、自分の奥に閉じられていた、色々な
感情や思い出が浮かんできます。
それは自身の体験だけでなく、両親、友達、媒体によって知り得た人々の人生が、
先生の小説上の人物にてらしあわせられて心に蘇ってくる・・。
私はその作業がすごく心地よく、消えかけていたものが、逆に刻み込まれてゆくのが
好きです。
美雪の子を捨てた事情や登紀子の「なさぬ仲」での順哉への出来事。スミの「この世
ならぬもの」の家。私は女性の思い入れが今回は強いです。
美雪の「私は幸福になるための新しい因を自分でいま作ろうと決心した。因を自分で
作るのだ、と。」の言葉とスミの「シュウという男との世界だけが自分の世界で、それ
以外は、世の中で何が起っていようと関係なく幸福でいられた。」
この2つは、私の中の「女」を感じえずにはいられません。
読後感想とはかなり違うものになってしまい、申し訳ありませんが、また再読して、
また考えてみたいです。
『睡蓮の長いまどろみ』を読んで(猫山さん)
読み終わって半月たってから、読後感が胸に迫ってきています。
女性の主人公である美雪の生き様に、心惹かれました。
美雪を執拗に苦しめる宿命は、形を変えただけで、
誰にとっても逃れられない宿業なのでしょう。
美雪は、懸命に自分に与えられた宿業を
断ち切ろうと闘ったけど、結局逃れられなかった、
それは、いいことでも、悪いことですらもないのかもしれません。
悪い縁を断ちきれるつもりでいるのは、人間の傲慢かもしれない
そんなこと出来る気持ちでいるうちは、幸福の芽にも気づかないかもしれない。
そうやって、まどろんでいるうちに、人生って終わってしまうものかもしれない。
蓮の譬喩である「因果具時」は、原因と結果が同時に存在する
「縁」と同じ意味があるんだ、とある人が教えてくれました。
自分の宿業を知るだけ、これに対峙して闘うだけでは、
幸福に辿り着くには不充分かもしれません。
ただ、同じ場所に幸福も存在するということは、
なにものにも変え難い、尊いことだと、胸に迫ってきます。
「悪しき縁」でのみ結ばれてしまったかのように見えた、
順哉、父親、美雪が、長い長いまどろみの末に、
それぞれの幸福を知ったように。
物語を読み進めている間は、様々な事柄が織なす
命の不思議な繋がりに、慄然としていました。
今、タイトルの「睡蓮の長いまどろみ」という言葉に、
とてつもなく大きな愛情を感じます。
「どんなことがあろうと、たいしたことはありゃあせん」という
『流転の海』の熊吾の言葉へと繋がっていきました。
とても、力強い気持ちです。
『睡蓮の長いまどろみ』は、わたしにとって、
新たに一番心に残る作品になりました。
輝先生、素晴らしい小説をありがとうございました。
つたない感想でごめんなさい。
何度も、何度も、再読して、味わっていきたいです。「睡蓮の長いまどろみ」が僕に残してくれたもの
投稿日 2000年10月15日(日)23時21分 投稿者 いしざきそれは、意志を持って生きていくことの大切さです。
人生にはいくつかの大きなスタート地点があります。
その場所に立ったとき、
「新しい自分はきっと幸せになってみせる」という
大いなる意志と揺るぎない決意。
これこそが、人間を限りなく強くさせていくのだと、
この作品を読んで感じました。人間にとって大切なもの、
人間にとっての幸福。
その形として現れにくいものを、
僕たちは常に追い求めていることに気づかされました。
輝先生、ありがとうございました。「睡蓮の長いまどろみ」
投稿日 2000年10月18日(水)18時10分 投稿者 老犀@拙い感想ですみませんほんとうに凄い小説でした。
圧倒されました。前半、いつになく物語は静かに進んでいくのですが、
実は伏線がいくつも引かれていて、読み進み、その線が少しずつつながるたびに
陶酔し、深淵に引き込まれていくようでした。
手紙、女雛、ナイフ・・・これらに絡めて、登場人物のそれぞれの「内なる女」が
姿を変えては見え隠れしていきます。
そしてそれは睡蓮、蓮の華という含意に満ちた象徴につながっていく・・・蓮の華と果が原因と結果であるという譬喩から、
それはまた母と子でもあると跳躍し、
これほど豊かなイメージと哲学に富んだ物語になっていくなんて、
信じられないほどのことです。呆然としながら読み進みました。読後、主人公の父親への共感をしみじみと考えました。
お互いに傷ついて別れたとしても、彼の「女雛」が
40年を経て、人間として立派な人生を歩んでいることを
遠くから見つめることが出来て、
それは少し切ないけれど幸せというものだなあ、と。ですがこの小説の感動は感傷的なものではなくて、
もっと大きくて力強いものにつながっています。感動しました。
読み終えてすぐ再読したくなるほどに。『睡蓮の長いまどろみ』
投稿日 2000年10月20日(金)00時48分 投稿者 かつら読み終えたばかりですが、みなさんがおっしゃっているように、
わたしも、すぐにでも読み返したい気持ちでいっぱいです。輝先生の作品に登場する女性は、みんなとても魅力的ですが、
この作品でも、わたしは、宿命に闘いを挑む「美雪」に強くひかれました。自分の今いる場所からはじめなければ何もはじまらないこと、
自分は自分の環境を自ら選び、望んで生まれてきたんだということ、
不変の宿命に牛耳られると決まっているなら、人間という生物なんて
この宇宙では無用だということ、、、
そしてそして『睡蓮の長いまどろみ』という題名にこめられた、
深い意味に思いいたったとき、今、この時に、この作品と出会えたこと、
「美雪」と出会えたことに、感謝せずにはいられませんでした。言葉にするのは難しいのですが、作品にぐいぐいひきこまれていきながら、
命の底からどんどんエネルギーが湧いてくるような、
背中をおして頂いているような、そんな気持ちでした。「宿命」という言葉に酔って、人生に挑む心を忘れそうになったとき、
「美雪」を思い、「蓮」のもつ力を思い、何度も何度も読み返すことに
なりそうです。そして、こんなにすばらしい作品を生み出される輝先生の
これからの作品が、ますます待ち遠しくなりました。(^^)「睡蓮の長いまどろみ」
投稿日 2000年10月24日(火)02時18分 投稿者 ほの助>別離という選択によってこの自分を守ってくれた蓮の花に、
>ひとこと礼を言わなければならない・・・・。事情こそ違えど、順哉のその想いに自分を重ねて
随分長い時間この一文の前で立ち止まっていました。別離の事情が一切解らず、憎んだことも恨んだこともない母。
幼いぼくの傍には居た母を、その記憶がないというだけで
何も考えない、感じない振りを今までずっとしてきたのです。
しかしこの一文に触れ、この世に生を受けて32年目にして
初めて真摯に母へ想いを馳せ、そして思い当たったのです。
別離したことによってぼくも多くのものから
守られていたことがあったではないか、と・・・。>弱気になるんじゃないよ。暗いところへ行くと迷うよ。
>明るいところへ行ったら、つまづきそうな石がどこに
>落ちてるかもちゃんと見えるよ・・・。橘夫婦の言葉が14歳の時たった15分間だけ逢った母の言葉のようです。
送られてきたシグナル、解き明かされる秘密。
自分を信じる強い意志と決意でこれから歩いていきます。「睡蓮の長いまどろみ」はぼくにとっての「底深い泥」です。
この素晴らしい作品にいまめぐりあえて幸せです。
輝先生に心より感謝いたします。
ありがとうございます。睡蓮の長いまどろみ
投稿日 2000年10月30日(月)21時26分 投稿者 MIZU昨日、読み終わりました。深い思想と、予想も出来ない展開の物語で、
とても面白かったのですが、それよりも、始めから最後にいたるまでの
ずっと続く文章の緊張感に感動しました。
ここ最近は、宮本先生から離れて、
「本をつんだ小舟」で紹介されていた世界の名作、
と言われているものをずっと読んでたんですけど、
文章が普段僕なんかが書くような文章とはやっぱりぜんぜん違ってて、
使い古された言い方ではありますが、命が宿っている、
と言うことを感じていました。
で、久しぶりに宮本先生の本を読みますと、
あぁ〜、やっぱり、宮本師匠(僕は普段はこう呼んでおります)は
すごいなぁ・・・。すごい小説家だなぁ・・・。
と思いました。これ以上書くと訳わからなくなってしまうのでやめます。
つまり、睡蓮の長いまどろみは世界の名作と同じ文章の緊張感を
僕に与えてくれました。
以上です。睡蓮の長いまどろみ
投稿日 2000年10月30日(月)20時27分 投稿者 ぴろ最初に一気に読んでしまったので、今度はかみ締めるように読ませていただきました。
いろんなことを今の自分の器の中で感じ取らせていただいたのですが、
「わたしは新しい自分をいくらでも自在に作れそうな気がしてきて」
という美雪の言葉と、「因果倶時」について考えました。そう思うと、今のこの一瞬一瞬を、大切に生きていかなくてはいけない。。
今決める事が10年後の自分を決めるのだ、という思いになりました。もうひとつ、心に残ったのは順哉とスミさんとの「この世ならぬもの」
についての会話の部分です。
能や歌舞伎などの独特の儀式が、観る人をこの世ならぬ世界へ導く・・。
「娑婆世界」を持ち込まない約束で、小さな家に囲われたスミさんの一生。物語の最後で、順哉が「あさはかな欺瞞」と、箪笥に鞄を投げつけそうになった
気持ちが、二度目に読んでわかった気がしました。
「娑婆世界」から離れて生きられる人間なんていない。よろこびも悲しみも、
宿業も、それを乗り越えようとする事も、全て美雪や順哉や、「人間」が生きている
娑婆世界にあるんだって。まだまだ、浅い読み方なのかもしれません。
でも、とても「おおきな」ものを感じました。自分の今の器は小さすぎて
受け取りきれないのですが・・。
節目節目に、これから何度も読んでいきたい、そう思っています。
「いま」この作品に出逢えて本当に良かった(^^)『睡蓮の長いまどろみ』を読んで
投稿日 2000年10月31日(火)22時22分 投稿者 なる加原千菜が死んだ理由ではなく、生まれてきた意味について考えてみた。
私は、加原千菜は順哉と森末美雪を結ぶ臍の緒だったのだと思う。森末美雪は「落ちる」という悪しき因を断ち切る為に順哉と離別する。
それは美雪にとっては、幼さの残る決断であったけれど、周囲に
特に家族には絶対悟られてはならない孤独な決意だった。
順哉は誰に何も言われなくても、登紀子がどんないい母親であろうと、
母親から捨てられた子供として心に傷を負う。
そしてその傷が癒える事はなかったのである。
千菜から手紙が来て、千菜は順哉の中に棲み始める。
順哉と千菜の交わりは、「娑婆を決して持ち込」んではならない世界での
出来事だ。
時には罪悪感を伴いながら繰り返されるその営みは快楽なのか、苦悩なのか。
実は、そこは順哉にとって美雪の胎内のような場所だったのではないだろうか。
千菜と順哉が交わる姿から、突然母親の胎内でまどろむ嬰児(みどりご)の姿が
私の心に浮かんできた。やがて、美雪と順哉は母と子として対面する。
「逢いたいけど逢えな」かった美雪を順哉は素直に受け入れる。
四十二年という時を越えて二人の間のわだかまりは溶けていく。
順哉は決して捨てられた子供ではなかったのだ。
加原千菜の「落ちる」という因によって再び逢えた二人に悪しき宿命の影は
微塵も感じられない。娑婆を持ち込んではならない世界で再び千菜と交わる順哉は新しい因を得て
生まれてくる順哉である。
三千回新しく生まれてくる、三千人の順哉。
千菜という臍の緒によって美雪と結ばれて、まどろむ嬰児の順哉。
その順哉が聴く音階というのは、羊水の中で優しく刻まれる美雪の鼓動が
奏でるものに違いない。
娑婆を持ち込んではならない世界とは、希望にあふれる因を生み出すための
禊(みそぎ)の川なのではないだろうか。
光と闇が渾然一体となって広がる輝先生の世界から生まれる私自身の因を
真摯な気持ちで受け取っていきたい!
(これからも何度も再読させていただきます)先程睡蓮を読み終えました
投稿日 2000年11月2日(木)06時57分 投稿者 さとる先程といっても数時間前なんですが
何を書いたらいいか考えあぐねていたら
時間がどんどん過ぎて行きましたけれど
その考えている時間が楽しかったです
そういう契機をくださった「睡蓮」、輝先生に感謝いたします因果倶時というその一瞬
瞬間瞬間に起こり続ける
その連鎖を想像すると慄然としました様々な無数の縁が迫り、また己の中の無数の思念との
間断なき結合が果を連ね、うねりつづける姿を浮かべると
なんだか恐ろしい見てはいけないものを
見たような気になりましたそしてそのいくつもの命のうねりが
あるものを形作っていくのですが
それは別の次元ではだんだん融けて
形がかたちでなくなっていくような気がしました
順哉は美雪であり、また千菜であるような千菜が「落ち」た時
美雪は「勝ったと思ってたのにそうじゃなかった」と言いました表面的には美雪は勝ったままのはずだと思いますが
美雪の言うとおりだと思いましたそこの部分を、いちばん学ばせていただいた気がします
これだけぐいと惹きつけられ、
それでいて一過性でなく考えさせられる小説ははじめてです輝先生
本当にどうもありがとうございました「睡蓮の長いまどろみ」を読んで
投稿日 2000年11月3日(金)00時01分 投稿者 花読んでいる最中は作品の内容に惹き込まれ、先の展開を思いながら読んでいましたが、最終章に入った頃から今日までで、自分の今までの生き方、これからの生き方についてたくさん考えました。
あたしは、20代の始めの頃からロクなことが無いと、それも人のせいにばかりして生きてきました。
後半ガクッと足元が崩れ、それに気がつかずに同じ状態を繰り返した・・・そしてその結果、心がボロボロになりました。
でもその時、ああ、ばちがあたったんだなぁ、と・・・今思えば自分で作った原因による結果だったんだと、それは初めからわかっていたじゃないかと思います。そんなあたしには、千菜の気持ちはしんどいです・・・でも、彼女の辛かった人生は、多くの人の気持ちを繋いでいった。。。たくさんの命の中の小さなひとつだけど、自分も誰かを繋ぎ、誰かと繋ながって、それは良くも悪くもだけど意味のあるものならば、それを良くする為に、大切に生きていきたいと思いました。
人生の中で新たなしあわせな結果を産む為に、あたしはこれから努力します。
そして学びたいと思ったのは、登紀子さんの生き方です。
一緒にいる人の気持ちを助けてあげられる、しあわせな気分にしてあげられる、そんな自分になっていきます。
周りの人の気持ちをやわらかくしてあげることが出来たなら、自然に自分もしあわせなれるかなって思います。自分のことばかり書きました、すみません。
また、別の視点で読ませていただきたいと思います。
素敵な作品をありがとうございました。長いまどろみ
投稿日 2000年11月2日(木)22時08分 投稿者 夢ちゃん私も「睡蓮の長いまどろみ」を読ませていただきました。
長いまどろみ・・・
私はずっと、長いまどろみの中にいるんやないかなぁって
思いました。自分の中にすごい力があるのに
それを信じられず
あぁでもない、こうでもないと
簡単なことを難しく考えている。
寂しいと感じてたのは、
自分をどうしようもない人間だと決めつけていたから。
それだけやった。