宮本輝 書き出し美術館
2007年07月30日更新
宮本輝の小説の書き出しのうまさには定評があります。
ここでは、今までに刊行された小説の書き出しを並べてみました。
宮本輝作品を手に取るときの参考になれば幸いです。
- 泥の河
- 堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋、それに舟津橋である。
- 螢川
- 銀蔵爺さんの引く荷車が、雪見橋を渡って八人町への道に消えていった。
- 幻の光
- きのう、わたしは三十二歳になりました。兵庫県の尼崎から、この奥能登の曾々木という海辺の町に嫁いできて丸三年が過ぎたから、あんたと死に別れて、かれこれ七年にもなるんです。
- 夜桜
- 阪急電車の御影駅で降りると、綾子は閑静な住宅地の坂道を、春の風になぶられながらとぼとぼのぼっていった。
- こうもり
- ランドウが死んで、もう五年も経ったことを、私は、大阪駅の雑踏でばったり再会した松岡に教えられた。
- 寝台車
- 「銀河」には殆ど乗客はなかった。
- 星々の悲しみ
- その年、ぼくは百六十二篇の小説を読んだ。十八歳だったから、一九六五年のことだ。
- 西瓜トラック
- 昼食が済むと、みんなは煙草を一服喫ってから、陽の当たっている庁舎の前の広場に行き、キャッチボールやバドミントンを始めた。ぼくは地下の職員用の喫茶室に行って珈琲を飲んだ。
- 北病棟
- 馬野病院の北病棟は、広い病院の敷地の奥に、他の新しい鉄筋の病棟からぽつんと離れた格好で建っていた。
- 火
- 雨が降ってきた。
- 小旗
- 父が精神病院で死んだ。
- 蝶
- 国電のガード下に、幾つかの店舗が並んでいた。
- 不良馬場
- さみだれの中を、十五分ほど行くと、病院らしい白い建物が見えてきた。
- 道頓堀川
- 三本足の犬が、通行人の足元を縫って歩いてきた。耳の垂れた、目も鼻も薄茶色の痩せた赤犬だった。
- 錦繍
- 前略
蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。
- 青が散る
- 三月半ばの強い雨の降る寒い日、椎名燎平は、あまり気のすすまないまま、大阪郊外茨木市に開学となる私立大学の事務局へ行った。
- 流転の海
- 汽車は、十五時間かかって、岐阜から大阪駅に着いた。
- 春の夢
- 夕暮れの道に桜の花びらが降ってきた。
- 避暑地の猫
- 出発しようとしたとき雨が降ってきた。
- ドナウの旅人
- 目を醒ますたびごとに、夜が明け始めていた。
- 夢見通り(「夢見通りの人々」第一章)
- 地下鉄の改札口から地上への階段の昇り口まではかなり距離があった。
- 燕の巣(「夢見通りの人々」第二章)
- 夢見通り商店会組合長の吉武権二が、小さなガラスの窓を突然開き、軒下を指差して、
「この燕の巣、とっぱらいたいんやけどなァ」
といったので、トミはびっくりして、落ちくぼんだ目を瞠いた。
- 時計屋の息子(「夢見通りの人々」第三章)
- 太陽が落ちる頃になると、英介は殆ど毎日、左手の小指にかすかな痺れを感じ始める。
- 肉の鏡(「夢見通りの人々」第四章)
- タツミ精肉店の兄弟は、自分たちがともどもに放埓であることは自覚していたが、いかに淫蕩であるかは気づいていなかった。
- 十八回目の逃亡(「夢見通りの人々」第五章)
- 夜明けに目が醒め、もうそろそろ毛布が必要だな、と夢うつつに考えながら、里見春太は薄い脂臭い蒲団の中で身を縮めた。
- 宝石箱の中(「夢見通りの人々」第六章)
- 月曜日は休日なのに、光子にとっては常よりも疲れる日であった。
- 帰り道(「夢見通りの人々」第七章)
- 有り金の殆どを使って特急「日本海」のB寝台に乗ったので、大阪駅に着いたとき、哲太郎と理恵には五百二十円しか残っていなかった。
- 白い垢(「夢見通りの人々」第八章)
- バーテンの信次は、もうさっきから何度も、わざとらしくカウンターを拭いたり、前掛けを外して時計を見たり、掃除機のスウィッチを入れたり切ったりしている。
- 波まくら(「夢見通りの人々」第九章)
- タツミ精肉店の竜二が兄よりも先に所帯を持ったのは三月二十六日だった。
- 洞窟の火(「夢見通りの人々」第十章)
- シャレードが店を閉めることになり、その「お別れパーティー」なるものの招待状が里見春太にも届いた。
- 葡萄と郷愁
- 一九八五年十月十七日 午後五時 東京
それまで毎週ロンドンから届いていた手紙は、純子の、ただ「はい」とだけしたためた返事によって、月に二度の国際電話に変わった。
- 優駿
- 風の音なのか、牧場の横を流れるシベチャリ川のせせらぎの音なのか判らぬ、遠くからとも近くからとも判別出来ない静かな響きが、九頭の母馬を馬房に入れ終わった渡海博正の耳に、急に大きく聞こえてきた。
- トマトの話
- 十二時きっかりに、みんなはそれぞれの仕事の手をとめて、弁当の箱を開いたり、近くのサラリーマン相手の食堂に行くために、席を立っていったりした。
- 眉墨
- 買ったばかりの薄いむらさき色のワンピースを着た母と、水色のリボンの飾りがついた麦わら帽をかぶった叔母は、車の後部座席に正座して、何か忘れ物はないかと話し合っていた。
- 力
- 少年の漕ぐ自転車が、枯葉を巻きあげて、噴水の向こうに消えて行った。
- 五千回の生死
- 今夜は久し振りに酔っぱらった。まあ大抵夜になると酒を呑むけど、こんなにゆったりと酔ったのは、本当に久し振りだ。だから、とっておきの話を聞かせるよ。
- アルコール兄弟
- 「世の中にはまったく通用しないよ。通用しないけど、でもこれが俺の考え方なんだってものは、やっぱりあるじゃねェか。そうだろう?」
- 復讐
- 授業はすでに始まっているのに、ぼくたち三人は柔道の道場の真ん中に正座させられていた。
- バケツの底
- ぼくは一度、子供のときに、そこへ行ったことがある。松林が、六甲山から伝い流れてくる芦屋川の終着点付近を包んでいて、茶色い粗い砂が海の堤防へとつづいていた。
- 紫頭巾
- ドブが薄く凍り、そこに映る月光の縁が、油膜の虹色と重なっている。
- 昆明・円通寺街
- 黄昏は早くて、まだ四時前だというのに、街は青味がかってきた。
- 花の降る午後
- その油絵は、夫が亡くなるちょうど三か月前に、療養をかねて志摩半島にあるホテルに逗留していた際、典子が買い求めたものであった。
- 愉楽の園
- 木の低い寝台に寝そべったまま、すだれの下をかすかに持ちあげると、満開のブーゲンビリアの向こうで、細い運河が光りすぎてぼっとかすんだ。
- 海岸列車
- 二十年前から父親代わりとなって自分たち兄妹二人を育ててくれた伯父の初七日が済むと、その翌日、手塚かおりは朝一番の新幹線に乗った。
- 真夏の犬
- ぼくの住んでいるところから、歩いて十五分ばかり北へ行くと、その年の夏、日本人で初めて、ヨットで太平洋を横断した青年の実家があった。
- 暑い道
- それは、人間の誤った趣味とか定説によって半分腐らせたような肉とは違い、歯ごたえも、血が混じった肉汁も、澄んだうまみを持つ牛の肉だった。
- 駅
- 能登の桜の時期も終わり、五月の連休あけで、しかも平日だったので、七尾線の輪島行きには、少ししか乗客はいなかった。
- ホット・コーラ
- 駅からバスで二十分近くかかる新興住宅地の一角に、〈アトラス〉という喫茶店があった。
- 階段
- 私はもう金輪際、〈貧しい人々が住むアパート〉に足を踏み入れたくありません。
- 力道山の弟
- 私の手元に〈力道粉末〉とゴム印を捺された小さな紙袋がある。
- チョコレートを盗め
- この目に突き刺さるような極彩色のネオンと、セックスに誘うあからさまな若い客引きの群れ、そしてまだ高校生ではないのかと思える娘たちが客を待つ店の居並びは、とても日本の一角とは思えない。
- 赤ん坊はいつ来るか
- 真冬の丑三つ時に、ぼくは妻に起こされ、飼っている犬を捜すために近所を歩き廻った。
- 香炉
- 私が曹興民という若い中国人に包丁で切りつけられたのは、大学三年生の時だった。
- 海辺の扉
- 諏訪湖の湖面は波立たず、遠くで幾つかの光が真横に動いていた。
- ここに地終わり 海始まる
- あす二十四歳の誕生日を迎えるという日の午前十時ごろ、天野志穂子は生まれて初めて、ひとりで電車に乗った。
- 彗星物語
- かつては、近所の人たちに〈木犀屋敷〉と呼ばれた時期もあったくらい、城田家の敷地は大きかったのだが、いまはその名残りを伝える一本の木犀の巨木も、日の光をさえぎるただの邪魔物としか思えないほど城田家は小さくなってしまった。
- 地の星
- 木炭バスの運転手は、松坂熊吾が一本松の停留所で降りる際、来週、このバスは廃車となり、中古のディーゼルバスが城辺町と一本松村のあいだを走るようになるのだと嬉しそうに言った。
- オレンジの壺
- 長くつづいた烈しい雨がやっと弱まり、ひととき露みたいに西から東へと流れ、そしてやんだ。
- 朝の歓び
- 紫色の雷光が、夜の海の上で烈しく走りつづけるのを眺めながら、江波良介は、海辺の旅館の窓辺に坐ったまま、ひとりで四十五歳の誕生日を祝ってウィスキーを飲み始めた。
- 人間の幸福
- 世の中では、あっちこっちで起っているらしいのだが、身近では滅多に遭遇できない殺人という事件が、杉の下マンションからほんの目と鼻の先で勃発して五時間がたった。
- 私たちが好きだったこと
- 夜明けの雨の音を、夢うつつで耳にすると、私は心地よく覚醒したあと、きまってあの二年間の生活を思い出す。
- 月に浮かぶ
- 四トンの釣り船を出してもらって、私は月明かりの入江を西の沖へと向かった。
- 舟を焼く
- 十一月も終わりに近いというのに、太平洋沖から台風が日本に近づいてきていた。
- さざなみ
- 酔っぱらって何気なく誘ったら、いったん別れたあと、ホテルの部屋に戻った私に電話をかけてきて、これから行ってもいいかと女は訊いた。
- 胸の香り
- 母が七十九歳で死ぬ少し前から、月に一度か二度、私は六甲山の中腹にある設備の整った病院に出向くようになった。
- しぐれ屋の歴史
- 小さな広告代理店を退社して七、八年たったころ、私のもとに〈しぐれ屋の歴史〉という小冊子に関して、問い合わせの手紙が届いた。
- 深海魚を釣る
- 近くの賃貸マンションの一階に住む若い奥さんが強盗にナイフで指を切られるという事件があった。
- 道に舞う
- 中国の西安を起点に全行程六千七百キロに及ぶシルクロードの旅に出て二十八日目、私は新疆ウイグル自治区の南西にあるヤルカンドという町に辿り着いた。
- 血脈の火
- 家の裏側の真下を流れる土佐堀川を、朝の七時きっかりに上って行き、夕方の六時過ぎに下って行く近江丸というポンポン船と、それに引かれた一艘の大きな茶色い木の船に、あと一ヵ月ほどで小学生になる松坂伸仁は必ず窓辺から身を乗りだして手を振った。
- 焚火の終わり
- 入江は深くえぐれたようになっていて、その入江に沿った曲がりくねった道の彼方には、季節を問わず強い風を受ける岬がある。
- 月光の東
- 三十六年前の秋に買ったまま、ついに使うことのなかった糸魚川から信濃大町までの切符に見入ったあと、私は車窓からあの橋を捜しました。
- 草原の椅子
- ――あなたの瞳のなかには、三つの青い星がある。ひとつは潔癖であり、もうひとつは淫蕩であり、さらにもうひとつは使命である。
- 睡蓮の長いまどろみ
- ドアをあけたままそのホテルの大理石の浴槽に深く身を沈め、ほぼ目の高さと同じところにある居間の床から中庭のほうに視線を投じると、青緑色の池と蔦のからまった階段の手すりが見える。
- 森のなかの海
- その朝、いつもなら希美子は、起きていれば必ず三つのうちのひとつのことをしているはずであった。
- 天の夜曲
- 大阪から富山へと向かう立山一号は、昼過ぎに定刻どおりに出発し、さして遅れのないまま米原駅に着いたが、そこから北陸本線に入ると、松坂熊吾がこれまで見たこともない豪雪のなかを止まっては進み止まっては進みしながら、石川県の大聖寺駅でついに動かなくなった。
- 星宿海への道
- 人間の足跡どころか、いかなる生き物の足跡もない死の砂漠を歩いてみたことがおありでしょうか。あれは恐怖と蠱惑が混ざりあって湧き出てくるある種の快楽といえるかもしれません。
- 約束の冬
- その家に氷見留美子と母の泰江が帰って来たのは、事故からちょうど十年がたった四月の末であった。
- にぎやかな天地
- 死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。
- スワートの男
- 長い旅をつづけて、私がパキスタン北西部の渓谷に辿り着いたのは一九九五年だったから、ちょうど十年前である。
- 花の回廊
- 穴だらけの雨樋からの錆と、煤煙混じりの塵埃とで汚れたモルタル壁に「蘭月ビル」と赤いペンキで大きく書かれてはいても、その中身は迷路と思しき構造の木造アパートであった。
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