輝作品について語り合う掲示板

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海辺の扉

引用
  2008/6/21 (土) 23:32:54 - 小林 一朗 - No.1214058774
夏さんと聖さんの「焚火の終わり」に関する語り合い、最高です!

先日、ラスベガスへ行ってまいりました。お世話になったガイドさんが「宮本輝」が大
好きだとおっしゃってました。

サンフランシスコでお世話になったガイドさんは京都出身の方で「夢見通りの人々」を
お渡ししたところ、「とても面白い!とくに燕のところ〜」とおっしゃってました。

4月にご結婚された取引先の女性の方が新婚旅行にギリシャに行ったそうです。
嬉しいメールをいただきました。「エフィーさん」は最高です!
いただいたメールを下記に添付いたします。



小林様

お世話になっております。
**です。

先週末、新婚旅行から帰ってまいりました。
出発直前に小林さんから「海辺の扉」をご紹介いただき
本当に感謝しています。

機中や乗換えの待ち時間、ビーチなどことあるごとに楽しむことができました。
偶然にも私たちはミコノス島とアテネに滞在していたので
ミコノス島の迷路のような町並み、風車の丘
アテネのプラカ地区、シンタグマ広場…などなど、
読んでるまさにその場が小説の舞台になっていることに興奮しました。

また、小説のストーリー以外にもエフィーや満典が
私の知らないギリシャの歴史や(少し前の時代の)情勢を教えてくれ
大変勉強になりました。

最後には満典が琴美へと戻ってしまわないか
ヒヤヒヤしながらも読み進めていました。笑
(「愉楽の園」でも結局恵子はサンスーンではなく、野口を選んでしまったり
 どうも、彼の話は私の希望通りには進んでくれないことが多くて…笑)

一生に一度のハネムーンに読んでいた本。
絶対に忘れることはないでしょうね。
ありがとうございました。

↑(ここまで)

輝作品は最高です!!

返信2 返信-2
 2008/6/28 (土) 19:19:54 - 小林 一朗 - No.1214058774.2
聖さん、いつもお世話になります。

「焚火の終わり」への並々ならぬ思いを感じ、こちらこそ感銘を受けさせていただいて
おります。
皆さんと語るには私も今一度、再読が必要です。楽しみです。
「焚火の終わり」〜「しぐれ屋の歴史」〜「胸の香り」は私の中で、一つにつながって
おります。

「50歳を過ぎた人間の情熱」について、実際私もあと11年で50歳になります。
今は「情熱を持ち続けること」が目標となっております。

「仇討ち」という言葉を聞くと、私はいつも「花の降る午後」の「荒木美沙」さんを思
い出します。

返信1 返信-1
 2008/6/24 (火) 05:59:36 - 聖 - <メール送信> - No.1214058774.1
小林さん、はじめまして。

小林さんの書き込みを先ほど拝見致しました。
正直、すごく嬉しいです。ありがとうございました。

回りくどくならないように、しつこくならないように注意したつもりですが、それでもし
つこくて、気取ってて自分で嫌になりました。
恥ずかしくて、書いた文章の8割は捨ててしまいました。

このように推理した根拠の“根底”にあるものについては、『焚火の終わり…トスさんの
書込みを読んで』の中で所感を述べさせて頂きました。
特に、返信-7では僕の考える最も大切なことを書きました。
そちらも反論なり御批評を頂ければ幸いです。

「50歳を過ぎた人の情熱しか僕は信じない」について言及されたのは、確か小林さんだっ
たと記憶しております。感銘して読ませて頂きました。
実は、これは僕も大好きな言葉なんです。ことあるごとに、人にも紹介してきました。
「50歳を過ぎた人の情熱」とは「鍛えられた情熱」と言い換えることができるかもしれま
せん。そして、“仇討ち”こそ作者の情熱の正体なのだと僕は信じているのです。

許すという刑罰

引用
  2008/6/19 (木) 12:00:33 - 夏 - No.1213844339
聖さん、有り難うございます!

【許すという刑罰】という言葉が、自分の行動に対して、と云う考えには思いもいたりませんでした。
まだまだだなぁ〜。

で、もうひとつ、これについては聖さんはどう考えますか。
茂樹が7歳の時に母がしばらく家を空ける訳ですが、その時期は美香が生まれた年と同じですよね。
茂樹が10歳のときに3歳の美香に初めて会ってるわけですから...。
偶然なのでしょうか。

一気に読み終え、ゆっくり読もうと思った矢先に、昨日、その本を友人に返却しなきゃなくなったので、今手元
に本がなく、読み返せない...。
夜、本屋さんを3件ハシゴ(?!)したのですが、どこも在庫切れでした(トホ...)

ところで!宮本輝氏の作品、この後読もうと持ったら何がおすすめでしょうか。

もちろん【焚き火の終わり】も近いうちにもう一回読んで、また、ココに書き込みます!!




返信1 返信-1
 2008/6/20 (金) 20:14:54 - 聖 - <メール送信> - No.1213844339.1
夏さんこんにちは。

そうなんです。偶然なんです。
茂樹が疑ったのもそのためだったんですが、そのことは、終章(P223〜4)に出てきま
す。船酔いした女性がいたという食道の女房の話です。船酔いの原因は女性の体調が悪か
ったからで、調べたら子宮癌とわかったんです。須川富美の家に出入りしていた女性は
「謎の翡翠の女」と「茂樹の母・町田喜代」ですので、喜代の子宮癌は本当だったことに
なります。ちなみに、謎の翡翠の女性は宗近の子を富美の家で流産しています。
暑中見舞いの「御病気のこと、伝え聞きました」というのも、子宮癌のことを指していた
と考えられます。

お薦めの作品ですか…どうなんだろ。宮本作品はどれも好きなんですよね。
どんなに名作と言われてもドキドキしないと僕はダメですし、しっとりしていないとイヤ
ですしね。実感がない言葉が混じったり、心にズシリとくるものがないとシラケますし…
ねぇ。贅沢ですよね(^^ゞ
いつも泣いたり笑ったり、僕なんて実に単純な読み方をしていると思います。
『ひとたびはポプラに臥す』なんて、イーヒヒって感じで笑ったなぁ〜。
たしか『優駿』のころですから、だいぶ前ですけど、そのころには当時出版されていた作
品は全部読んでしまってね、次が出るのを待てなくて、しょうがないので読み返したりし
てましたね。
どこから読んでもいいんじゃないかな。それも自分だけの“出会い”ですよね。

焚き火の終わり、について

引用
  2008/6/18 (水) 16:45:46 - 夏 - No.1213773451
初めての書き込みです。宮本輝と云う作家はもちろん知っていましたが作品を読むのは今回が初めて。それが
【焚き火の終わり】でした。読書ということにまったく縁のないような友人から「これは面白い!」と勧められ、
内容を全く知らずに読み始めました。
確かに面白い!一気に引込まれ、上下巻あっという間に完読!
今は、「どうなるの〜」と云う思いにせき立てられることなく、ゆっくりと読み返しています。

このサイトに行き当ったのは、何人かのみなさと同じく、茂樹と美香の両親は誰なのか?と云う疑問の答えが、
本当は提示されているのに、私だけが見つけられず、誰かが答えてくれるのかな、と思ったからでした。
本来ミステリー好きの私としては、やはり、その推理も楽しんでしまいます。
でも、この作品が表しているのは、そんなことではないのでしょうね。
人間の業、性、生、贖罪...深すぎて本当に理解できているのか、はなはだ疑問ですが、
そこにも魅せられました。

デ!両親ですが、実は母親は一緒で、父が違う、ってことはないですかね。
で、最後の最後に登場したのは、美香の父ではなく、茂樹の父、とか...。
兄妹であることは間違いない!と思うのです。
じゃなきゃ、わざわざ、兄妹だと告げて、二人を会わせる必要はなかったはず。

もしかしたら(推理し過ぎですけど...笑)富美さんと謎の男性は
子供の出来ない町田夫婦に協力(表現は違うかもしれないけど)してたのではないでしょうか。
その関係に全く違う性的な匂いで引き寄せられた人々の割り込みより4人の関係が破綻。
喜代さんは誰の子かわからない命または滝沢家のどちらかの子を宿してしまい錯乱。
後半の場合、どなたかが書かれていたように、
喜代さんと滝沢家に血のつながりがあったことになりますよね、たぶん。
喜代さんの気持ちを察した人々は、本当は子供が生まれたことを隠し
富美さんの子供として育てることに同意した、と...。


う〜ん、やっぱりわかんない。
わかんなくてもいいか。














返信2 返信-2
 2008/6/18 (水) 20:11:03 - 聖 - <メール送信> - No.1213773451.2
やっぱり書いちゃいます。(こらえ性がなくてすみません)
こんな考えもあるんだということで、読んでくださいね。

まず写真について言った美花のおばあちゃんの言葉がポイントだと思うんです。
「おばあちゃんが、何があっても、この写真を茂樹ちゃんに見せたらあかんて言うたか
ら。誰も幸福になれへんことを、したらあかん、て」
これって、顔の無い男が茂樹の父だと言ってるのと同じですよね。茂樹と顔がそっくりな
んですね。だから顔を切りぬいた。
このことは後で老婆も証言しています。「ソフト帽の男が美花の父親で、茂樹の生き写
し」って言ってました。
もっともソフト帽の男が美花の父顔っていうのは、あくまで老婆がそう思っているだけな
んですけどね。ホントかどうかは確かめていないですから。
でも写真の男がソフト帽の男だというのは、前後関係から間違いないと思います。該当し
ない人を消していくと、ソフト帽の男しか残らないんです。
この写真の男は、終章で品川ナンバーの男として登場します。

次に、茂樹の母ですけど、茂樹が疑ったのは、美花が生まれた時に子宮癌で喜代がいなか
ったからでしたよね。
これも後に、仲間の女性が子宮癌になったという証言がでてきます。喜代の癌は本当だっ
たんですね。茂樹の母・喜代は美花の母じゃないんです。
ついでながら、宗近と泊っていた女性は、宗近の子を流産した翡翠の女と考えて差し支え
ないと思います。別の女の可能性もありますけど、そこまで面倒みれません。別に大勢に
影響ないですもんね。

ここまでをまとめるとこうなります。
茂樹の父は、写真の顔の無い男=ソフト帽の男=品川ナンバーの男。茂樹の母は町田喜
代。

美花の母ですが、須川富美と本人と考えていいと思います。これも消去法ですが、該当者
は富美しか残らないです。
問題は美花の父は誰かということなんです。
候補者はソフト帽の男と滝沢宗近です。
ソフト帽の男は、近くに住む人が美花の父だ思っていた人です。富美と結婚するつもり
が、しばらくして死に別れたことになっています。
宗近にも美花の父親の可能性が残ってます。根拠はいくつかありますが、例えば、宗一郎
が振り込み続けたお金とは別に「父たち」の預金通帳がでてきましたよね。
仲間とは別に宗近がお金を送り続けたわけです。宗近はやっぱり仲間じゃなかった。それ
でもお金を送る意味ってなにってことになります。

つまりこうなります。
美花の父は、ソフト帽の男(宗近の可能性も残る)。美花の母は須川富美。

じゃ、最初の暑中見舞いの葉書と喜代の残したノートはなんだったんだということになり
ます。
これに関しては、先ほど別なところに書きました。
ノートに関しては、「許される」対象が実は自分だったわけですから、解釈が変わりま
す。
葉書に関しては、意味を持たせようとすると、どうしても矛盾が生じるんです。
この部分だけ、推理してみたものから抜き出してみます。
(みっともないからさっき捨てたやつです。笑ってやってください(+_+))


その@…母の残したノートについて

葉書の差出人(=宗一郎。この時点では、母の愛人ではないかという疑惑の相手)に対する
ものとした場合、妙なことになってしまいます。
何故なら、おびただしい数の「許す」という文字は、茂樹の母が、結局、相手を“許せな
かった”ことを意味してしまうからです。
そして、どこまでいっても許せなかった母が、最後に「許すという刑罰」という意味不明
の言葉まで使ったことになります。
母がこのような粘着質なら、子供の茂樹がそのことを知らないはずはありませんし、逆に
母のノートを見て違和感を持つこともないはずです。
ここは、やはり夫に対する言葉と取るのが妥当だと考えます。
しかし、それは夫を「許す」のでも、逆に「許しを乞うて」いるのでもありません。
後にわかることですが、茂樹はソフト帽の男との間に生まれた子供でした。夫は実は茂樹
が我が子でないことを知っていた。知って知らぬふりをし続けた。そして、喜代はそのこ
とを知っていたのではないでしょうか。
夫の行為は、夫以外の子を生んだ自分を「許す」優しさなのかもしれない。しかしそれは
私にとっては拷問のような「刑罰」なのだ…。
このように解釈すれば、茂樹が葉書を見つける前から“母に疑惑を抱いていた”ことにも
矛盾なくつながっていきます。この時点ではまさかそれが自分のことだとは考えもしなか
ったわけですが…。
はっきり意識しなかったにせよ、茂樹の抱いた疑惑がこのようなものだったからこそ、
「夫に対しての言葉としか判読できない」となり、「美花の…ひとつの幻想」と否定せざ
るを得なかったわけです。


そのA…暑中見舞いの葉書について

暑中見舞いの葉書をどう解釈するのか。「物語の展開に重要な役目を果たす道具」である
こと以外の意味はないと、私は結論しました。
この葉書になんらかの意味を持たせようとすると、どうしてもおかしなことになってしま
うのです。

「暑中お見舞い申し上げます。御病気のこと、伝え聞きました」
…この部分は、葉書を書いた人物(宗一郎)と喜代が、密に連絡を取り合っていないこと
を示しています。
喜代の病気を知るのも他人からの伝聞ですし、しかも、それを知っても直ぐには連絡をと
らなかったことになります。
「一日も早く、御健康を取り戻されますように。お許しください」
…最後の「お許しください」は、実に不自然な、というよりこの一言で異様とも言える文
面になっています。
“何を許すのか”を書かなくても喜代にはわかってしまうのかと、そういう細かいことを
言わなくても、その異様さだけで二人のただならぬ関係を匂わせるに十分な効果をもって
います。
しかし、これもおかしな話です。先の「密に連絡を取り合っていない」内容とまるで合い
ません。

作者は、このような道具を用意するにあたって、多くを語らせないために“暑中見舞い”
を選んだのだと思います。
謎の葉書にはノートと同じ「許す」という言葉が必要でした(それをノートにはさめてし
まったのは、少々やり過ぎかもしれませんが…)。
本当は親しくもない人間ですから“ただならぬ関係”を匂わせるにしても、道具として、
手紙や書置き等を残すわけにはいかなかったのだと思います。

それにしても、このような暑中見舞いが家に舞いこんだら、それこそ大変だろうと思いま
す。そもそも匿名の暑中見舞いってなんでしょう(^_^;)
我が家なら間違いなく家庭争議ものです。
暑中見舞いはかなりの確率で夫の目にも触れるはずです。もし本当に“ただならぬ関係”
だったら、逆に絶対に出せない葉書ということになります。
葉書の内容は、本当に季節の挨拶だったと、結論するしかなくなってしまいます。
匿名の理由ですか?書き忘れたんでしょ(^_^;)

返信1 返信-1
 2008/6/18 (水) 17:54:59 - 聖 - <メール送信> - No.1213773451.1
根拠は書かないってさっき書いちゃったw
こんなふうに書かれると、書きたくてうずうずしてしまうでないの…(>_<)

あ、いけない!
挨拶を忘れました。
はじめまして。私も数日前にここにきたばかりなんです。
よろしくです(*^_^*)

焚火の終わり・・・トスさんの書込みを読んで

引用
  2008/6/4 (水) 19:27:58 - 聖 - <メール送信> - No.1212574241
『焚火の終わり』も私の大好きな作品の一つです。
本棚にこの本を見つけると、何故か何度も読み返してしまいます。

トスさんの書込みを拝見して、初めて気付いたことがありました。
それは、自分は全く謎解きなど考えていなかったということでした。
そういえばそうですね。父親はいったい誰なんでしょう。

最後に登場させた人物で、これまでの二人の推理を覆してしまった、と私は思っていま
した。
上記の通り、推理したわけではありませんので、あくまでも漠然とした印象です。
ですから、この印象は多分間違っているでしょうね。
いや、きっと間違っていると思います。じゃなかったら大変です。
余韻を残すために登場した人物として、それはそれとして私は満足していたのですが、
推理小説だったら反則ものですもんね。
こんどは謎解きのために読んでみたいと思います。

謎解きと言えば、ひとつだけ不満に感じたことがありました。
はがきを焼き捨てた後で、筆跡のことを忘れていたというくだりがありましたね。
それはないよなぁと、推理小説をめったに読まない私でも、そう思いました。
作者は、謎解きに必要な緻密さなど、初めから用意して無かったのではないか。
じゃなかったら、途中で設定に変更でもあったのかな。
そんなふうに思ったものでした。
少なくとも、作者が謎解きに重きを置いていないことは感じていました。

小林一朗さんの書込みの最後に、
「上の2人の影響で私個人としては茂樹と美花が兄妹でも成立するのではと考えてしま
います」
とありました。
私もそう思います。
恐らく控え目にそう仰ったのでしょうが、むしろ、兄妹だからこそ成立する作品なのでは
ないでしょうか。
何故か惹かれて何度も読み返してしまうのも、たぶんそのことと無縁ではないと思いま
す。

ここで書き終えるつもりでしたが、蛇足ながら付け足したいと思います。
ここで書いた‘兄妹だからこそ成立する’というのは、強い想いがあれば倫理も道徳も
意味を無くすということではありません。倫理も道徳も強い想いこそが生むものだから
です。
もし強い想いがそれらを無意味にするのであれば、この作品もこの世に生まれることは
なかったでしょう。

返信8 返信-8
 2008/6/18 (水) 17:47:54 - 聖 - <メール送信> - No.1212574241.8
約束だから推理を書かなくちゃと思い、さっきやっとできました。
…で、できたんですけど…、読み返したら、バッカミタイに恥ずかしくなっちゃっいまし
た。
誰でもわかることを何書いてンだろ…しかも解説付きで(-_-;)
僕が根拠と考えたところは、誰でもそう思うところでした。
そんな自明のことに、もっともらしく解説つけちゃって…あ゛〜ぁ!ミットモナイ!
まぎらわしいと思う2つと、結論だけ書くことにしました。
あとは全部ポイ!


母の残したノートはこう読みました。
茂樹が我が子でないことを夫は知っていた。夫が知って知らぬふりをしていることを喜代
はわかっている。
夫の優しさは、夫以外の子を生んだ私を許してくれる。しかしそれは私にとっては「許す
という刑罰」なのだ…。

暑中見舞いの葉書についてはこう思いました。
文章の内容にも、暑中見舞いが匿名であるということにも無理があるように感じました。
よって、この葉書を出生の根拠にするのは危険と判断しました。

茂樹の父は、写真の顔の無い男=ソフト帽の男=品川ナンバーの男。茂樹の母は町田喜
代。
美花の父は、ソフト帽の男(宗近の可能性も残る)。美花の母は須川富美。
美花の父に関すること以外は、作品にはっきり書いてあることなので問題ないと思いま
す。僕がふにおちないのは次の2点でした。
ひとつは宗近が死ぬ直前に時計を気にしていたことの意味。物語の展開上も必然性を感じ
ないものですから。
もうひとつは、宗一郎が、茂樹から姉妹の結婚の話を聞いても笑顔でいたこと。そしてそ
のことを、以後まったく問題にしていないことです。あまりにも重大なことだと思うので
すが。

返信7 返信-7
 2008/6/18 (水) 16:02:57 - 聖 - <メール送信> - No.1212574241.7
asunaroさん、こんにちは。

なるほどね〜スワッピングですか…。
確かにそんなふうに取れないこともないですが…。
asunaroさんも、今はもう、そうではないことを分かっててお書きになったんでしょうけ
ど、あれ?僕を試しているのかな?(^_^;)

「しなくてもいい苦労がいっぱい詰まってる壺には、その場かぎりの楽しみという蓋がし
てある」です。
自分にとってかけがえのない人たちを、そんな「その場かぎりの楽しみ」で傷つけはしな
いでしょう。そんな人たちではなさそうです。
続いて作者は宗一郎にこんなふうに言わせています。
「この人間社会に、これほど仲のいい人たちがいたっていうのは、奇跡を通り越して、気
味が悪いくらいです」
「(私たちが邪推するような淫靡な関係ではなかったのではないか)最近、そんな気がし
てきたんです」

このことについては、既に、ここの返信2で書かせて頂きました。
その部分を抜いて、再掲してみます。
 「人が不幸にならなければ文学ではないと思い込んでる作家がいる。
 対象を歪め、ドロドロしたもの描いて、それが芸術だと言い放つ画家がいっぱいいる。
 生命を歪め、自分が人間を見下していることに少しも気がつかない。
 そんな無神経な輩に怒り、“仇討ち”をする。それが宮本文学だと私は思っています」

宮本文学には、根底に「仇討ち」があります。
何に対する「仇討ち」か。
もちろん父を殺したものに対する仇討ちです。
人のために生きようとすれば、心ない人々の妬みや蔑みを必ず受ける。
彼は、そういった“人を不幸にする不思議”に、戦いを挑むことを決意したんだと思いま
す。(うわぁ、後で読み返すと恥ずかしいなぁ。でも我慢して消さない…(>_<))
宮本作品に漂う“強さ”と“優しさ”は、「人を不幸のままにしてなるものか」という彼
の強い想いから生まれているように思います。
「仇討ちの文学」は「蘇生の文学」でもあるわけです。

説明の都合上、誤解を恐れず、単純な形に置き換えてしまうとこうなります。
「“善なるもの”と“邪悪なもの”との拮抗があり、善なるものに触発された人間の“蘇
生劇”が描かれる」ということです。
“同性愛”や“近親相姦”の陰に隠れて見落としがちですが、このテーマはこの作品にも
明快に顕れています。『焚火の終わり』の面白いところは、その“善なるもの”を、“外
からの目”で見ていることです。
つまり、“善なるもの”を「共同体」として完全にブラックボックスにしてしまい、それ
が「部外者の目にどう映るのか」を書いているわけです。
『流転の海』はそのままずばりですから別格として、例えば『私たちの好きだったこと』
など、ほとんどが、いわば“当事者の目”からの作品なわけです(当たり前ですが…)。

川村は好意を寄せながらも違和感を払拭できないでいる人の目です。…「川村という男か
ら発散しているわずかな崩れ」がポイントですね。
菊池ハタは、自分の器に合わせて穴を掘った下卑た目です。…これは説明不要か。事実関
係を問われて、想像だと自爆してますもんね(作者得意のダメ押し?)。
宗一郎は、自分もそうありたいといつしか願うようになった目かな。私にはそう見えまし
た。

最後に、美花が「父たちの手紙」にふれるところを示しておきたいと思います。
「湧きあがった誇りのようなものは、さらに美花に力をみなぎらせつづけた」
これが“蘇生”を意味する部分なら、手紙を残した「共同体」は“蘇生を促す善なるも
の”ということになります。
次の文章と対比してみるとわかりやすいと思います。
「自分のしていることに自信がなかったからだ。心を誤魔化そうとして理性という名の詭
弁を弄したにすぎない」

作者は、当事者の事情をすべてブラックボックスにしてしまいました。
しかし、共同体の人たちが、「自分のことを差し置いても相手のために生きようとした人
たちだった」ということだけは信じることができます。
須川富美は、色んなことを思いやって、父親が誰なのかを明かさなかったんじゃないか
な。そして仲間たちは、そんな富美と美花を守りたいと願ったんでしょうね。
まさに「みんな美花の父になりたかった」のです。
恐らく、ソフト帽の男も、割り込んできた宗近も、美香が本当の自分の子だと信じていた
に違いありません。

返信6 返信-6
 2008/6/16 (月) 11:14:07 - asunaro - No.1212574241.6
ムム・・・文面が長くなっている?
後で書き足したのですね。

「焚火の終わり」読んだのが以前なので明確に覚えて無くて申し訳ない。

この仲良いグループ(男女)が麻薬・大麻によるスワッピング(乱交)を楽しむ
ようにった。
しかし宗近は独占欲が強く、女性を独り占めにしたくなり、仲間との関係に悩んだ。
あげくに焼身自殺と遂げる。
一番初めこんなイメージを抱きました。

刑事(知人)の証言や古い新聞に載って居るので覆せませんが・・・。
何故これ程まで裏付けを取ったのか不可解な気だするのですが?

宗一郎の兄宗近の焼身自殺が偽装であれば簡単に解決するのですがね〜。

私は勢い余って以前に『続・焚火の終わり』を書いてくださいと、先生に勝手に
お願いしちゃいました。(*^_^*)
私にはパッピーエンドの構想はあるのですが・・・読者にその様な想像をさせるのも
作者の悪戯なのでしょう。

> あまりの下手くそさに、強い違和感を感ました。
>あ〜、書いちゃった(-_-;)
オ〜強烈なご意見でした  (◎_◎;) ドキッ!!
芸術的才能がゼロの私には・・別世界。

先生の作品で悩むのは「焚火の終わり」と「避暑地の猫」。
今度は「避暑地の猫」で語り合いましょう。

返信5 返信-5
 2008/6/15 (日) 04:24:36 - 聖 - <メール送信> - No.1212574241.5
asunaroさん、こんにちは。
返信、ありがとうございます。

美花の父親は宗近か最後に登場した男のどちらかです。
どちらであるかは、おそらく…の段階で、はっきりした根拠をつかめないでいます。
しかし、二人のうちのどちらかであることは間違いないと思います。
最後に登場した男であれば二人は兄妹ですし、宗近であれば血のつながりはないことにな
ります。
その根拠を論理的に展開するのには時間が必要で、ここに書けるのは数日後…?
長くなりそうなんです(^^ゞ

asunaroさん。うん(*^_^*)
僕も美花にそんな手術は受けさせたくなかったな。
茂樹にだまっていることにも無性に腹が立って…なんか困った。
たぶん悲しかったんでしょうね。
実は今でもそうなんです。

罪の意識の上に成立する恋かぁ…。


時間が少し空いたので、続きを少々…。
この小説の展開は、細かいところを気にしなければ、それほど複雑ではないようにも思え
ます。
異母兄妹として育った二人が、その出生に疑問を持つことから物語が始まるわけですが、
妹の言葉で兄は母に対する疑惑を抱き、妹は“首のない男の写真”を示すことで、別の異
母兄妹の可能性を示唆します。そして、物語の最初に示唆された通りに“ソフト帽の男を
父とした異母兄妹であった”という結論を匂わせて、物語は終わっています。
最初に示唆した通りの結論で終わるのですから、推理する必要もないような、単純な物語
と言ってしまえば、言えそうです。
しかし、それでも色々と考えてしまうのは、途中の展開に、“ふにおちない点”がいくつ
かあるのと、それ以上に、主人公の二人に読者が愛情と言っていいものを抱くからなんで
すよね。

もし可能であれば、何が“ふにおちない”のか。それでもすんなり読んだ時と同じ結論に
なるのはどうしてなのか。もうひとつの可能性というのは何なのか。
…等々を書いてみたいと思います。
「なにアホ言ってんねん」とか言われそうですけど(^_^;)
しかし、口頭で説明しても2時間くらいかかりそうなんですよね〜(-_-;)
それを要領よく、僕の力で表現できるんだろうか…。

そうそうひとつだけ。
asunaroさんの返信に書かれてあった「彼が書いた<どうか、お許しください>を推測す
るに、美花の父親として責任が取れなくて、許しを乞うたのではないだろうか?」
の部分ですが、これは成立しないと思います。
葉書の文章自体としてもこの推理は成立しませんし、物語の流れとしても、これは成立し
ないのです。よく考えるとオカシイでしょ、これ。

装画についても少々。
作品を読み終えて、胸が締め付けられたというasunaroさんの気持ちは、生意気なようで
すけど、僕にも分かるような気がします。作品の余韻がそうさせるんですよね、きっと。
そういえば、素敵な映画のエンディングテーマも実に心に沁みます。
そういう心の動きって、私はとても素敵なことだなって思います。
そんな時間を一度も持ったこと無いなんて人いないか…いたら絶対好きになれんわ。

僕もこの作品でasunaroさんと同じような時間を持ったんだと思います。
それがたまたまロバート・ハインデルだったというわけです。
asunaroさんは、小説が映画化された時に、違和感を持ったことはありませんか?
小説が心に残る作品であればあるほど、その違和感も強くなるようです。
それと同じような感覚が僕にあったのかもしれませんね。
文庫本の高塚省吾の装画が、あまりにもハインデルのものと異質だったのと、あまりの下
手くそさに、強い違和感を感ました。
あ〜、書いちゃった(-_-;)

返信4 返信-4
 2008/6/13 (金) 15:55:11 - asunaro - No.1212574241.4
聖 さん・・今日は。
>誰が美花の本当の父親なのか。
>実は“父たち”は誰もそのことが分らなかったのではないか。茂樹の父親が
>誰なのかだけを知っていたのではないか。
やはり・・・明確には・・解りませんでしたか。
私が拘った理由がもう一つあります。
美花が悩んだあげく、一人で病院に行こうとしている事が、堪らなく嫌だったのです。
絶対阻止したかったのです。

HNは忘れましたが、以前この様な事を書き込んで頂いた事があります。

「それは・・どちらでも良いではないですか」(文面は忘れましたが)

つまり兄妹であろうが無かろうが二人が良いのであれば・・・幸せならば。

そこでやっと力が抜けたのです。

全く画に関して無知識な人間なので、そ〜言われると困るのですが
朝方読み終えた『焚き火の終わり』表紙の高塚省吾の装画をショボショボ
した目で眺めた時、胸が締め付けられたのは事実です。
因みに私のパソコンの壁紙に「 ロバート・ハインデル」の踊り子が
何時も舞っていますヨ。
かなり影響を受けたことは間違いないようです。(^_-)
では・・また。

返信3 返信-3
 2008/6/12 (木) 22:38:24 - 聖 - <メール送信> - No.1212574241.3
『焚き火の終わり』をようやく読み終えました。
読み終えたばかりで、これから時間をみつけて整理しようと思います。
しかし私の貧弱な頭脳では推理は無理のような気がしてきました。

そもそも裏付けのある話はほとんど出てこないんですね。そのことを不問に付したとして
も、前出の事柄を後で否定する形で話が展開しています。二人が仕入れた情報は勿論のこ
と、考えた事や感じた事まで、“ひとつの方向性を示す事柄”は悉く後に否定されてしま
っています。
こうなるともう、私程度の頭では到底太刀打ちできません。
出来るとすれば“推理”じゃなくて“想像”ですね…。
その想像も…、仮に「美花の父親は登場人物以外の人間」と結論したとしても、誰もそれ
を笑えないんじゃないかとさえ思えてきます。

「最後に登場する人物」ですが、この人だけが他の人物と比べ、特別扱いになっているよ
うにみえます。最初、この男が「茂樹の父親」であり、同時に「美花の父親」の可能性が
高いと考えました。そして作者は、これまでのようには、そのことを否定しようとはして
いません。
しかしそれは、“読者がそう思い込むよう”に書かれているからだと気付きました。
「最後に登場する男」が「写真の顔の無い男」と同一人物だとしても、「ソフト帽の男」
と同じ人だとはどこにも書かれていないのです。
初めから否定する必要のないことなんですね。逆に言えば、否定する必要がないようにし
てこの男を登場させた。
「写真の男が父親と分かる理由」を美花が老婆に訊く場面は、それを読者に気付かせるた
めの“ダメ押し”になっているわけです。

誰が美花の本当の父親なのか。
実は“父たち”は誰もそのことが分らなかったのではないか。茂樹の父親が誰なのかだけ
を知っていたのではないか。
そんな思いが、今、私の大部分を占めています。

余談ですが、読んでて自分の勘違いに気が付きました(^^ゞ
私のは単行本で装画はロバート・ハインデルとありました。
前回の返信に書いた絵に関する所感は、この装画についてのものでした。
高塚省吾の装画は…これ絵になっているのかなぁ…。
私にはロバート・ハインデルの方が比べものにならぬほど魅力的に見えます。

返信2 返信-2
 2008/6/10 (火) 07:38:43 - 聖 - <メール送信> - No.1212574241.2
asunaroさん。書き込みありがとうございます。
自分の書いたものに応えてくださる方がいるというのは、本当に嬉しいことですね。
時間がとれなくてまだ作品は読み返していないんですが、返事を書かせて頂くことにしま
した。

「草原の椅子」のところでも書きましたが、宮本輝というのは私ににとって“自分のこと
のように錯覚できる”特別な作家だったようです。
ですから、自分の書いた日記に推理の余地が生まれないように、宮本輝の作品に推理を働
かせることは、これまで一度もありませんでした。
しかし、それはひとつの作品の楽しみ方であって、推理しながら読むのも同じくらい楽し
いかもしれないと思った次第です。
私も、遅まきながらその推理に参加したいと思っています。

「兄妹でない事を強く願った」
すごくわかります。高校の時の私だったら、きっと地団太踏んだんじゃないかな。
それが、この作品では、そうならなかったのはどうしてだろうと考えました。
“感じ”たのではなく、“考え”たので、自信はありませんが…。

ひとつは、自分が“鈍く”なったからだと思います。
突然食べ物の話になりますけど、「大人の味」と言いますよね。
歳を重ねないと分らない味があるということでしょうが、しかし、それって大部分は“舌
の老化”の成せる技でもあるわけです。
ようするに、舌が鈍感になっている。
それと同じように、若い時の情熱や正義感も変質していく、薄らいでいく。そういうこと
だと思います。

もうひとつは、宮本作品には包むような優しさがある。それが、“ヒリヒリするような恋
の痛み”を和らげてしまうのではないかということです。
今、“恋の痛み”と書きましたが、舌が鈍くなる前の私が読んだら涙を流していただろう
その痛みは、道徳心などでは決してない。恋の痛みに他ならないからです。

人が不幸にならなければ文学ではないと思い込んでる作家がいる。
対象を歪め、ドロドロしたもの描いて、それが芸術だと言い放つ画家がいっぱいいる。
生命を歪め、自分が人間を見下していることに少しも気がつかない。そんな無神経な輩
に、怒り、“仇討ち”をする。それが宮本文学だと私は思っています。
それは私に勇気を与え、ついでに作品の中で破れた“恋の傷”までも、明るく優しく包ん
でしまっているような気がするのです。

謎解きの話にもどりましょう。
「作者は最後に現れる品川ナンバーの男で“二人の謎”を永久に解らないようにしたので
は無いでしょうか」
とありました。
私も、同じ趣旨の内容を書いたわけですが、解らないようにしたというか、含みを持たせ
たというか、そういうふうに思っていたわけです。
私も謎解きに参戦しますから、諦めたなどと言わないで、胸のつかえなど取らないで、続
けましょうよ。

最後に絵の話をさせて頂きますね。実は私も絵は大好きなんです。あ、でも知識は無いで
すからヒトリヨガリなんですけど。
表紙の絵は私も好きです。惹かれますよね。
こんなタッチというか感性が好きで、自分も昔やってたなあって…、本を読んだあとの余
韻とともに、しばらく見詰めていました。
ただ、ちょっぴり才能に走り過ぎてるかなとも思いましたけど。asunaroさんはどう思わ
れますか。
音楽家に絶対音感が必須であるように、やはり絵は後ろに手が入らないといけません。
残念ながら、画家として大切なその眼が、この絵にはみえません。

返信1 返信-1
 2008/6/7 (土) 14:51:26 - asunaro - No.1212574241.1
聖さんこんにちは。
『焚火の終わり』の話だと居ても立ってもいられ無く・・・うずうずしてくるのです。
私がこのサイトに投稿する切っ掛けが 『焚火の終わり』でした。
そもそも読書などと言う物に無縁だっのですが、ふとした切っ掛けで「宮本輝」を知っ
て以来どっぷり填ってしまいました。勿論推理小説など殆ど読んだ機会が無く、私の読
解力が無い余りに理解できないのかと、テルニストの皆様にこれでもかとお聞きしたも
のでした。

一郎さんは「赤松啓介氏の学説」派なのですが、私はそうで無いと願う派なのです。
でも諦めました。

> 茂樹が滝沢宗一郎と初めて逢った時、差出人の無い葉書は私が出したと言われた。
>彼が書いた<どうか、お許しください>を推測するに、
>美花の父親として責任が取れなくて、許しを答うたのではないだろうか?
>とすると茂樹の母が書いていた<許すと言う刑罰>と意味とつながる。
>宗一郎は茂樹を見て母親にそっくりだと言うことは、茂樹は本当に
>喜代が母親なのだろう。
>宗一郎の兄宗近が金波館で焼身自殺を遂げた。
>彼は年二・三回女性二人と交互に泊まっていたようだ。
>一人は美花母・冨美(地元の女)
>もう一人は茂樹母・喜代(大阪か神戸の女)
>宗近と彼女らの間に宗一廊が割り込んできた。
>しかい滝沢家の係累と茂樹の母(町田喜代)には血縁関係にあることを
>いずれ知ることになる。
>もしや貞夫には子種がなかったのでないのか?
>などなど色々考えを巡らせても解き明かせない小説でした。

解説にもギリシャ悲劇での近親相姦を取り上げているので、普遍的な禁忌を意識
しての作品に間違いないようなのです。

以前何故私がむきになっているのかな〜?。と思い起こすと
茂樹と美花が兄妹でない事を強く願ったからだと気づきました。

今回 聖さんの書き込みを読んでハッとしました。
作者は最後に現れる品川ナンバーの男で「二人の謎」を永久に解らないように
したのでは無いいでしょうか。
間違っていたとしても胸の仕えが取れました。


しかし表紙の「高塚省吾氏の絵」に見とれてしまいませんか?

余談ですが、「冬のソナタ」も「異母兄弟」で悩む話でしたよね。
DVDを購入して全巻見ましたら、結局違ったのですが、これは『焚火の終わり』のパ
クリでは無いかと思いました。でも私の願ったのは正にこれだったのです。

草原の椅子

引用
  2008/6/4 (水) 19:22:04 - 聖 - <メール送信> - No.1212560528
初めて書き込みさせて頂きます。
『血の騒ぎを聴け』を再読していて(再々読かな…再々々読かもしれない…どうでもいい
ことですが)、ここの存在を知りました。
もちろん、再々…読なので、初めて知ったわけではないのでしょうが、私もれっきとし
たテルニストではないかと、急に思い立ったのでした。

『蛍川』が私の読んだ最初の作品でした。それ以来のファンですが、‘テルニスト’を
決定づけたのは『錦繍』だったと思います。
ここには自分のことが書かれている、それが読み終えた私の実感でした。

小説に限らず、自分が主人公になり登場人物となって楽しむのは当たり前のことです。
だいたい、そんなこともできない、入り込めない小説など読む気もしません。
しかし、ここで言う‘自分のこと’とは、文字通り、まるで‘自分が生み出した作品で
あるかのように’錯覚してしまうということなのです。
読み進むにつれて、自分の書いた‘日記’を赤面しながら読み返しているような、そん
な気持ちになっていたのでした。
意味は全く違うのでしょうが、「…一人の日記文書なり」という言葉がしきりに脳裏に
浮かんだのを、今でも鮮明に覚えています。作家の力量ということなのでしょう。

内容とタイトルが合わないと言われそうですが、私もそんな気がしてきました。
実は最近、友人から『草原の椅子』について意見を求められたのです。
友人曰く、
「読んでいて考えさせられる内容だったが、まるで君と話をしているようだ。小うるさ
い」「宮本輝は初期のころに大切にしていた、小説が本来持っている‘語らず感じさせ
る力’を忘れているのではないか」

皆さんはどう思われるでしょうか。
テルニストの私としては、色々と弁護をしましたが、「ゴムホースの原理」だけは酷
いと思うと正直に言いました。
なにが自分で考えた原理だ。「リンゴがポタリ」と同じくらいの使い古しではないか。
これを聞いた友人は、キョトンとしていました。
友人はゴムホースの話にだけは感心していたのでした。

にぎやかな天地文庫版 読後感想

引用
  2008/5/31 (土) 07:10:56 - パウロ - No.1212185456
内容は、素晴らしかったです。
それ以上に心に響いたのが、(本来図書館は手に入らない書物を手にするためのところ
なのに、本自体にお金を使わない人が増えてきた。。云々)のところです。
さすがに宮本先生の作品を図書館で借りて済まそうとはしませんが、宮本先生のファン
を自称しながら、文庫本が出るまで待ってしまったせこさを恥じ入るかぎりです。
本物が消えてしまうような世の中にならないように、一市民としては使うべきところに
お金を使うように心がけたいと思わせてくれる、教訓的な一冊でした。

「青が散る」の再読

引用
  2008/5/24 (土) 11:15:27 - asunaro - No.1211595327
「青が散る」の再読
数ある作品の中でも初の方に読んだのがこの本になります。
私がこのサイト(HP)を知った時、宮本輝ファンクラブの中に「青が散る」だけ語り
合う所がありました。
おやこの本を熟読しないと参加できないサイトなんだと、一人勘違いし、2〜3回続け
て読んだ記憶があり、それ以来になります。
前に知人と話をしている内、彼が大学7年を経験した事が判明したので、この
「青が散る」を読んで貰おうと渡しました。
しかし綺麗な姿で帰ってきました。感想も無かったので読まなかったのでしょう。
「ダメネー」と思いましたが、学生時代私は単位を充分取って置いた方なのですが、そ
れでも四年の必修科目を落とし卒業出来ない夢を今でも見ます。
やはり親にこれ以上迷惑を掛けたくない一心があったのかと。
彼も思い出したく無かったのかも知れませんね。

この作品を読み目を閉じると、青春時代の「性の目覚め」が蘇って来ますね。

それだけでも幸せになってくるのですが、今回読み直して感じたのは、この作品は緻密
な構成がなされていて、(当たり前ですが)これから社会に出る者にとって・唸る物が
あり、またその人の持って生まれた業など、ある人生を終えないと解り得ない事などが
至る所に散乱していました。
この小説を読むと不思議と「螢川」と「春の夢」を読みたくなります。
「春の夢」は解る人は多かろうと思うのですが、螢川はどうしてかな?

今回初めて気づきましたが、この本って笑える所が沢山あるのですね。
宮本文学で笑ったのは、大きなランドセルを背負い小学校に通う姿・行動が面白く笑い
ましたがそれ以来でした。
東北人の私には、余り関西のユーモアを理解できなかったようです。

辰巳教授の言葉に「自由と潔癖こそ、青春の特権ではないか。」
個人的に極度の潔癖な人間は嫌いなのですが、ここでの意味は「不正なことを嫌う性
質。また、そのさま」と考えと良い言葉ですね。

椎名燎平と佐野夏子が入学最終日に出逢い、卒業最終追試でも一緒、お互い社会に旅立
つsituationとして、年甲斐もなくゾクゾクしてしまいました。

ではまた感想書きます。

InRed

引用
  2008/4/30 (水) 21:30:37 - 小林一朗 - No.1209558637
宝島社出版の「InRed」という女性誌の中で「錦繍」が紹介されてました。
P230の「フロッグマンの極蛙男的ブックガイド」というタイトルで映像クリエーター
のフロッグマン氏がナビゲーターをされており、「今回は心が洗われる名作を中心にご
紹介します。」とあります。

「描かれる人間ドラマに共感の涙がぽろり」と題して、最初にドストエフスキー氏の
「罪と罰」が「人間ドラマの画期的な面白さを持っているところがこの作品の素晴らし
いところである」と紹介が出てます。続いて「錦繍」についての紹介がありました。

(本文抜粋させていただきます。)
もう一つは、宮本輝の『錦繍』。「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンド
ラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すらできないことでし
た」という有名な書き出しで始まり、往復書簡形式で、10年前に愛し合いながらも離
婚した男女の、その後の人生が明らかになっていきます。
皆さんも別れてしまったけど、その後どうしているか心残りの異性がいるでしょう?
そんな自身の経験とも照らし合わせながら、二人の主人公がそれぞれ孤独を生き運命に
翻弄され、もがき苦しみながらも、最後には光が差し込み、再び前を見てお互いの人生
を歩み始める、そんな「人間の再生」の物語をぜひ読んでもらいたいですね。
素直な感動を味わいたい本です。(以上)

InRedさん、フロッグマンさん、最高です!
「錦繍」は最高です!

フロッグマン氏について・・・映像ブランド「蛙男商会」代表。脚本・監督・作画・声
優を一人でこなす映像クリエーター。劇場版最新作「秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE U
〜私を愛した黒烏龍茶〜」が5月24日より公開。

http://www.takarajimasha.co.jp/inred/index.html(TnRedホームページ)

焚火の終わりについて

引用
  2008/4/18 (金) 02:09:23 - トス - No.1208452163
はじめまして。
私は宮本先生の小説が好きで、よく読んでいます。気になることがあったので書き込み
させていただきました。最近「焚火の終わり」をよんだんですが、最後まで謎がはっき
りと明かされないままで終わっちゃいました。あの兄妹は誰の子供なのかとか。どなた
か読解力のない私に、この小説について解説していただけませんでしょうか。

返信2 返信-2
 2008/5/13 (火) 21:52:30 - やまいぬ。 - No.1208452163.2
トスさん、はじめまして、宜しくお願い致します。。

「焚き火の終わり」、私も何故か非常に惹かれる作品です。
何度読んでも「謎解き」は出来ません。最後に登場する男性の影も、結局それが
誰なのかも確定出来ません。
ふたりが兄・妹なのかも私には解りません。

けれどどうでしょう? 当のふたりにだって確定的なことは解らないのかも
しれません。だからいい、と私は思っています。

誰よりも惹かれ、必要とした人間が、仮に血の繋がる相手であっても、
「生きる為に、自分が自分である為に必要」ならば、そこに倫理も道徳も
意味があるのでしょうか?

もし私が茂樹でもそうする。(これは確信を持って絶対です)
だからそれでいい――そう思っています。

輝先生が仰った、「絶対に幸せになりなさい。これは命令です」という
物凄い言葉にある「幸せ」とは、実は斯くも恐ろしく、複雑で、しかし
シンプルなものだと感じています。(・・・何のご返答にもなっておりません。(^^;)

返信1 返信-1
 2008/4/18 (金) 23:34:30 - 小林一朗 - No.1208452163.1
トスさん、はじめまして。
「焚火の終わり」についての謎のお話、ありがとうございました。

以前にasunaroさんと「焚火の終わり」について語り合った内容をコピーさせていただき
ます。(もうお読みになってましたら、申し訳ございません。)

輝作品に関しての「解説」はできませんが、(お力になれず申し訳ございません。)
「ああでもない、こうでもない」と語り合うことは24時間営業しております。
これからも宜しくお願いします。

「焚火の終わり」の「テントの朝露」に関したジャッカル。さんの語りは圧巻です。
「焚火の終わり」〜「しぐれ屋の歴史」〜「暑い道」は最高です!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「焚火の終わり」
  2006/3/17 (金) 20:42:49 - asunaro - <メール送信> - No.1142595769
-------------------------------------------------------------------------------
-
厳しい冬の寒さから、春の気配を感じはめて来た今日この頃ですが、
土手に流れる泉の下に眠る蛙もうずき出してきた様に、
ふと「焚火の終わり」を手に取り
高塚省吾氏の絵に見とれ、ん〜ム・・春淫を感じてしまいました。

ノートに重要な項目を書き留めながら進むのですが、
やはり今回も最後の最後に現れる人物で、今までの推理が
ゴチャゴチャニなってしまいました。
いつもある最後の宮本様のあとがきが今回は無いし、
解説にもギリシャ悲劇での近親相姦のヒントは
あるのですが、あとは食に徹している。

茂樹が滝沢宗一郎と初めて逢った時、差出人の無い葉書は私が出したと言われた。
彼が書いた<どうか、お許しください>を推測するに、
美花の父親として責任が取れなくて、許しを答うたのではないだろうか?
とすると茂樹の母が書いていた<許すと言う刑罰>と意味とつながる。
宗一郎は茂樹を見て母親にそっくりだと言うことは、茂樹は本当に
喜代が母親なのだろう。

宗一郎の兄宗近が金波館で焼身自殺を遂げた。
彼は年二・三回女性二人と交互に泊まっていたようだ。
一人は美花母・冨美(地元の女)
もう一人は茂樹母・喜代(大阪か神戸の女)
宗近と彼女らの間に宗一廊が割り込んできた。
しかい滝沢家の係累と茂樹の母(町田喜代)には血縁関係にあることを
いずれ知ることになる。

もしや貞夫には子種がなかったのでないのか?

などなど色々考えを巡らせても解き明かせない小説でした。
でも面白ですね・・とんちんかんな想像も(^o^)
何故こんなに私がむきになっているのかな〜?。
茂樹と美花が兄妹でない事を願うからであります。

お願いがあります。
「続・焚火の終わり」お願い致します。

返信-1
 2006/4/5 (水) 19:59:07 - 小林一朗 - No.1142595769.1
-------------------------------------------------------------------------------
-
asunaroさん、いつもお世話になります。

asunaroさんの「焚火の終わり」への情熱で、私も今再読中でございます。
読後、また書かせていただきます。

性に関するお話だと兵庫県出身の民俗学者の赤松啓介氏の学説を思い出します。
赤松啓介氏は「夜這いの民俗学」「非常民の性民俗」「村落共同体と性的規範 夜這い概
論」な
どの著作があり、戦前、主に近畿地方を行商し、そこで見聞きした社会を著されており
ます。
そこにはとてもおおらかな性があったそうです。
赤松啓介の作品の案内です
http://netaven.com/ama/author/12605.php

またこの赤松啓介氏の影響を受けて柏木ハルコさんという女性漫画家が「花園メリーゴ
ーラン
ド」という作品を描かれております。こちらもとても興味深かったです。
花園メリーゴーランドの案内です
http://www.geocities.jp/mochisachi/museum/14_media_review/1ma/kashiwagi_h/hanaz
o
no.html

上の2人の影響で私個人としては茂樹と美花が兄妹でも成立するのではと考えてしまい
ます。

再放送

引用
  2008/4/11 (金) 10:59:07 - 淳子 - No.1207879147
「知るを楽しむ」再放送を見ることができました。「よく50歳まで生きてこれたな
あ」という言葉。涙がでました。悩んだとき、いつも宮本先生の本で癒され、励まさ
れ、ここまで生きてこれました。先生、ほんとうにありがとうございます!

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