宇和島文学歴史講座周年記念講演会レポート

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講演会に、、、
  2007/12/4 (火) 14:08:20 - 宮本輝 -
遠路はるばるお越しくださったみなさん、ありがとうございました。
何人かのかたの連名で、宇和島の郷土玩具の「牛鬼」を楽屋にお届けくださり、ありがたく拝受いたしました。この場を借りてお礼を申し上げます。
また「宮本輝 全短編」という高価な本もたくさんのテルニストの方々がお買い上げくださっているようです。心から感謝申し上げます。
9年ぶりに父祖の地を訪ね、NHK「知るを楽しむ」の収録も無事に終わりました。ご協力下さった地元の方々に厚く御礼申し上げます。

2007/12/4 (火) 21:50:24 - さくお -
こんばんは。昨夜、大阪へ帰ってきました。
輝先生、講演会およびNHKの取材、お疲れになったと思います。アメリカより遠い、旭川の方が早い、陸の孤島まで足を延ばしていただき、本当に、ありがとうごさいました。お話を聞けて、大変嬉しく思っています。当日、約800名の方が出席して、先生の柔らかな大阪弁とユーモアを交えたお話に耳を傾け、先生の魅力に惹かれていき、ファンも増えたと思います。
牛鬼は5~6メートルの牛をかたどった竹組みの胴体に、丸木で作られた長い首と恐ろしげな鬼面の頭、剣をかたどった尻尾がついており、全身はシュロの毛または赤色の布で覆われています。それを、数十人の若者が担いで、長い首を打ち振りながら練り歩き、家ごとに首を突っ込んでは悪魔払いをします。
私、何故か講演会スタッフの一員となり、皆様を出迎えました。受付にいたので、るりさんにもお会いできました。もっとお話をしたかったです。県外からも多数の出席があり、遠くは埼玉県からお見えの方がいらっしゃいました。当日は一番前の席で、男性@テルニスト3名の方と同席するつもりでしたが、開演ぎりぎりに入ることがわかり、断念しました。舞台に向かい左側の前の出入り口で、立ってお話を聞きました。
舞台には、宇和島の名産、たわわに実ったミカンの木一本が活けられていました。何時倒れるか心配していましたが、講演会中は無事にお役目を果たしたみたいです。そのミカンの木は同級生の手に渡り、一朗さんへと、最後はみんなのお腹の中に入りました。でも、残ったミカンは、一朗さんが持って帰った様な気がしますよ。
演題は、「風土と文学」。「流転の海」を執筆するきっかけとともに、父親のことについて、今後の「流転の海」についてなど、1時間10分ほど講演頂き、あとは質問コーナーでした。
「流転の海」は、70歳までに終わりたい。あと10年の猶予をくださいとのこと。あと三巻で、絶対に終りにします。完結するまで、生きているように!と、言われました。完結したら、玉水旅館に全八巻を寄贈するとのことです。

2007/12/5 (水) 03:28:11 - 一朗 - <メール送信> - No.1196792118
輝先生、宇和島での講演、大変におつかれさまでした。久方ぶりに輝先生のお話を拝聴でき、心新たな思いでございます。ほんとうにありがとうございました。
「風土と文学」と題されたご講演の中で、私が印象に残ったのはやはり、お父様の末期のお話でした。涙がわっとあふれました。最後まで南予人であろうとしたお父様、そのお父様の生まれたところをとにかく見たかったという輝先生、父子の熱い思いをまた感じました。
南予の風土について玉水旅館で過ごされた日々の中で、「これが親父の世界やな。」と感じられたというお話、実際に玉水旅館を拝見させていただいて、私も少し感じられました。南予について、「基本的に女性が強い国である。」というお話がありましたが、今回愛媛、高知と列車の旅をしていて、ほんとに女性職員の方が多いなぁという印象を私も感じました。
風土のお話で「ドナウの旅人」の取材の時のこともお話され、そのなかで「ふとした瞬間に、あぁ、違う国に入ったな、ということがわかる。気質、性質をつかめるときがある。」という言葉にすごいものを感じました。さすがです。
作中人物の名前のつけ方は?の質問に「一番良いのはお墓に行くことです。」というお話には笑わせていただきました。重ねて御礼申し上げます。

2007/12/5 (水) 23:17:24 - るり -
テルニストの皆さま、こんばんは。
宇和島市での輝先生の講演会へ行ってまいりました!!
大分市の佐賀関という所から三崎までフェリーで約70分。天候にも恵まれ行き帰りとも、おだやかな波で心地よい船旅でした。港から宇和島市まで車で約1時間40分位、意外とスムーズに到着する事ができました。
三崎から八幡浜へ抜ける間の道のりの景色が素晴らしく赤や黄色とあざやかに色づいた雄大な(本当に雄大な)山々と美しい海に何度も感嘆の声をあげました。
ホテルのチェックインを済ませ早めに会場へ行き、受付が始まるのをドキドキしながら待っていました。何人かの人達が入り口の前に並び始めたので私もそれに従いました。すると隣の列にテルニストらしき3人のお姿が、、、。
どうしよう!どのタイミングで声をかけたらいいんだろうと悩んでいたところるりさんと書かれた紙を発見!(私の視力は2.0、これだけが自慢)
思い切ってご挨拶をさせていただきました。どうやら私は緊張すると早口になって挙動不審になってしまうようです。終始落ち着きがなく申し訳ありませんでした。そしてせっかく親睦会に誘っていただきましたのに参加する事ができずに失礼致しました。
お三人共私のイメージどおりの方々でした。
精悍な青年の一朗さん、優しい笑顔のマルコさん、大阪BINさんはお顔が先生に少し似ていらっしゃいました。受付でさくおさんにお会いしました(すぐにさくおさんだとわかりましたよ。)
さくおさんには心のこもったお土産を頂戴いたしました。びっくりしてろくにお礼も言えずに申し訳ありませんでした。本当にありがとうございました。
一人だったので3人の後ろに座らせてくださいとお願いしたところ一緒に座りましょうと言っていただきなんと一番前の席でお話を聞くことが出来ました。レポートに役立てようと筆記道具を用意していたのですがもうそこはお三人にお任せしようと勝手に決めてただひたすら先生のお姿を眺めさせていただきました。
たぶん1時間半の間私はほとんど同じ体勢だったと思います。
先生はいつものおだやかで優しい声の関西弁で時々笑いを誘うのをお忘れにならずにお話をしてくださいました。
『流転の海という小説を書く事になったきっかけ』
『流転の海シリーズを描くのに欠かす事ができなかった南予という場所』
『お父様が生涯南予弁を使い続けた不思議とその理由』
『流転の海の終えんについて』
私の中ではこのようにとらえさせていただきました。先生の思いと違っていたら申し訳ありません。
最後に来場された皆さまからの質問に丁寧に答えておられました。本当に夢のような時間でした。先生が舞台から去られる時立ち上がって手をふりたい気持ちでいっぱいでした。先生、お忙しい中本当にありがとうございました。
いい年を越せそうです。

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