第40回北日本文学賞記念特別講演会
きっかり8時間労働。
2006/1/30 (月) 01:14:28 - 宮本輝 - No.1138551166
今回の富山は、朝の10時過ぎから北日本文学賞の授賞式に出席し、
選考委員として挨拶と祝辞を述べ、受賞者のかたがたと記念撮影し、
それからホテル内のレストランで慌てて昼食をとり、講演をして、
津村さんの講演が終わるのを待って対談に入り、それが終わると、
受賞者のかたがたとそれぞれの作品についての懇談会を持ち、
そのあと北日本放送のインタビューを受けて、それですべての
スケジュールを終了しました。終わったのは5時過ぎ。
ホテルから会場へ、会場からホテルへ、いったい何回往復したことか。
疲れたぜ。(^^)
第40回北日本文学賞の贈呈式が28日、富山市の富山全日空ホテルで行われ、「最後の姿」で入賞した飛田一歩(ひだかずほ)さん(39)=本名・羽場幸子、東京都練馬区、主婦=に、梅沢北日本新聞社長から賞状と記念牌(はい)、副賞50万円が贈られた。40回を記念し、選者・宮本輝氏と作家・津村節子氏の特別講演会と公開対談も富山国際会議場で行われた。
そのあと北日本新聞のワリちゃんと文化部長とで食事をしながら
熱燗を飲んでたら、いつになくよく廻ってきて、ホテルに9時に
戻って、そのままばたんと3時間も寝てしまって・・・。
目が醒めたのは12時。
お風呂にはいって、少しテレビを見て・・・。
頭が冴えてぜんぜん寝られへんがな。(^^)
ぼくが起きるまでホテルの近くのショットバーで飲んでいたワリちゃんを呼んで、
部屋で朝の4時まで飲んでしまいました。
ぼくは「立山」を湯のみ茶碗に2杯。ワリちゃんは3杯。
橋本はお酒が飲めないので、コーヒーを。(^^)
はぁ、フル活動の富山でした。
ワリちゃんはきょうは見事な二日酔いでした。
津村節子さんとは約10年ぶりにお会いしたのですが、お変わりがないどころか、
10年前よりもお若くなった感じで・・・。
それにつけても我が髪の毛のとどまることのない砂漠化。
とほ。
輝パパおかりなさい&ただいまです
2006/1/29 (日) 23:38:57 - ぐるぐる人生。 - <メール送信> - No.1138544468
輝パパおつかれさまでした(^^)
オイラも講演会に行かせていただきました。
てっつあん、みなさま、お久しぶりでございます&初めまして m(_ _)m
長らくご無沙汰を続け不義理を重ね、ちらちらと掲示板をのぞいては
いつどうやって帰ろうかと考えあぐねておりました。
この機を逃したら、きっとまた二行前の自分へ逆戻り。そしてエンドレスリターン‥‥
今しかない!、と扉を叩いた次第でございます。
どうぞ以後、お見知り置きを。
もっと早くに家に着いていたのですが、お土産に買って帰った鱒の寿司を食べ
お腹いっぱいになったら爆睡しておりました‥‥えへ(^^;
テルニストを名乗るようになってはや幾年月、
しかし講演会やサイン会などに参加できたのは今回が初体験でございました。
毎回行けなかったり間に合わなかったりで、うう‥‥(::)
しかし当日の朝も、東京はピーカンだったのに富山は雪だったそうで
「飛行機とりあえず飛ばしてみるけど東京へ戻っちゃうかもね」のアナウンスに
貧血おこしそうになりました。ああ。無事に辿り着けてほんとによかった。
ひやひやした分、ちょっと幸せも増えたかも。
お久しぶりに先生の姿を見る事ができ、お声を聞く事ができ
幸せMax(笑)の一日でした。(←ごめんかつらちん、パクった)
講演の内容については皆様詳しくレポートしてくれてはるので言わずもがなですが
お話を聞いて、本を読みたい。もっとたくさん本を読みたいって改めて思いました。
輝パパも津村先生も講演中、とても気さくな雰囲気で
会場で演説するというより目の前にいる私達ひとりひとりに語りかけたり
微笑みかけたりしてくれるように話してくださったのですが、その振る舞いは
凛としているというか、潔いというか、清涼な雰囲気が漂っていて
まっすぐに地に立っておられる、そんな印象を受けました。
なんと表現するのが適切なのかよくわからないのですが‥‥
そんな、清廉な生き方をオイラもしたいと思いました。
本当に富山に行って、富山に行く事ができてよかったと思います。
至極の時間を味わう事ができました。ありがとうございます(*^^*)
「螢川」を読み返そうっと。
ありがとうございました!
2006/1/30 (月) 08:29:18 - さき - No.1138541718
私も28日、日帰りで参加しました。
初めての富山は雪でした。
神通川を越え、サンダーバードが富山駅に到着するころから、心臓がドキドキ。
富山に来たのだ・・と、改札を出てから、しばらくボーっと立っていました。
3時間の贅沢で濃密な時間を、ありがとうございました。
輝先生は登場と同時に、ステージの大きなスクリーンに映し出されるご自分を振り返り
ながら、「自分の後ろ姿を見るのは、はじめてやなあ 」と、頭に手を当て一言。緊張
していた会場の空気が一瞬でほぐれ、先生をぐっと近くに感じて話を聞く雰囲気に変わ
りました。話術も天才的です。
今回の講演のテーマである「小説の力」文学の力については、かつらさんの報告のとお
りです。(かつらさんありがとう)
その「心の聴力」を高めるのは、時を経ても読み継がれている名作といわれる作品を読
むこと。自分にとって少し垣根が高いものを読もうとすることが大事であるとお話しく
ださいました。
また、先生が読まれた、数々の名作も紹介してくださいました。
(「本をつんだ小舟」「魂がふるえるとき」で紹介されている作品もありますので、あ
らためて読んでみようと思います。)
昭和40年に「玩具」で芥川賞を受賞された津村節子さんは、54年間小説を書いてお
られるそうです。輝先生は、津村さんの作品について、『説明』を徹底してそぎ落とし
『描写』で表現されている優れた作品であるとお話されていました。短篇集を手に入
れ、読みたいです。
さて、今回は北日本文学賞のお陰で、富山を訪れる機会をいただきました。
今年40回を迎えたこの文学賞は、北日本新聞のかねひささんという方の文学への熱い思
いが多くの人々を動かし、当時としてはとても珍しい一般公募による、30枚という短
篇での文学賞が誕生したという話も心に残りました。
30枚という短篇小説は『若書き』を許さない、技量を要求される、また同時に読み手
も試されるものだそうです。このような地方から発信する文学賞が、長く長く続いて欲
しいと願います。
全て書ききれませんが、対談の途中に、さりげなく津村さんのグラスにも水を注がれた
り、会場からの発言にも懐深く対応されたり、随所に輝先生の人間力のすごさを、垣間
見せていただきました。
わずか6時間の富山滞在でしたが、日々の疲れでしぼみがちだった心が癒され、清々し
い気分になりました(^^)
帰りの電車では受賞作品を読み、おいしい「ぶりかま丼」とビールを飲んで帰阪。「鱒
寿司」をお土産に♪
また、ゆっくり富山を訪ねたいと思います。
輝先生、お疲れさまでした。橋本さんもお疲れさまでした。
ただいまでっす。
2006/1/30 (月) 00:45:53 - かつら - <メール送信> - No.1138536073
わたしも富山に行ってまいりました。
何から書けばよいのか、まだ整理できていませんが、
とにかく心に残る最高の時間でした。(*^^*)
てるぱぱの講演はもちろん、今回、てるぱぱを通して、
津村節子さんの作品やご講演を伺う機会にめぐりあえたことに
とても感謝しています。
女性の年齢を言うのは失礼かもしれませんが(^^;
昭和3年生まれとは思えないかくしゃくとされた美しさ。
また一人、「あんな風に年齢を重ねたい!!」と思う女性を
知ることができ、行ってよかった〜♪としみじみと思いました。
そして、わたしが、てるぱぱのお話で一番心に残ったのは、
「文学の力とは、疼きだ。」というお話でした。
「読む人を疼かせる。どこを疼かせるかというと、ある場合は、
哲学する心だったり、紅涙をしぼるような気持ちだったり。
人間をうずかせないのは文学ではない。」と。
で、映画や絵画や音楽にも、そのような「疼き」はあるかもしれないけど、
それらと文学の何が違うかというと、「すぐれた文学は、『考え』なければ、
心にはいってこないもので、『知的な読むという力』によってうまれる
疼きが文学」というような内容でした。
で「レイテ戦記」の最後の(この言葉をはっきり覚えきれなかったので(^^;、
帰ってきて、本を見たのですが、)
「レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けて
いくのである」(『レイテ戦記』大岡昇平 中公文庫 323ページ)
との言葉を引用され、「どんなに優れた作品でも、読み手にそれを聴こうと
する『心の聴力』がなければ伝わらないもので、すぐれた文学というのは、
そういう力を要求し続けているもの」というようなお話でした。
うーん、うまく伝わってない言葉足らずなところは、参加された皆様、
補ってください。
生意気かもしれませんが、てるぱぱのそのお話を伺いながら、
そんな「心の聴力」を磨いた読者になるぞーーー!と強く強く
思ったのでした。(^^)
そして、まだまだ読みきれていない津村節子さんの作品をはじめ、
名作を読むぞっ!と心に決めました。
富山は2度目の訪問でしたが、ますます好きな町になりました。
今日は、お天気がよかったので、「螢川」に思いをはせつつ
「いたち川」のほとりのベンチで、鴨の親子をながめながら、
おいしい鱒寿司を頂きました。おいしかったぁ〜〜〜〜〜。(^^)
金曜日の夜から行ったのですが、雪・雪・雪の富山も味わえたし、
雲ひとつない快晴にそびえる北アルプスの山も楽しめたし、
そして、たくさんの方とお会いでき、何から何まで最高の時間でした。
てるぱぱ、ほんとうにお疲れさまでした。
貴重なお話を伺う機会を作っていただき、感謝、感謝です。
ありがとうございました!
第40回北日本文学賞記念特別講演会&公開対談
2006/1/29 (日) 15:04:24 - 大阪BIN - <メール送信> - No.1138513385
JR大阪駅からJR富山駅まであのサンダーバードに乗り、
私も参加してきました。
午後1時30分開始。式次第は、
一、梅沢北日本新聞社社長のあいさつ
一、講演 宮本輝氏 演題「小説の力」
一、講演 津村節子氏 演題「私の創作ノート」
一、対談「文学という希望」
一、質問タイム
輝さんのご講演は、40年前の予備校生時代167の小説
を読んだ体験(『星々の悲しみ』の頃)から始まり、大学
時代は一冊も小説を読まなかった、卒業して広告会社に就
職したが「パニック障害」で会社に行けなくなり小説家を
志した、初めてかいた小説は「冷蔵庫にしまいたくなる」
ものだった、そして『蛍川』に取り組みある同人誌に入り
文学修行の時期を持った、という流れのお話しでした。
『蛍川』を完成させるまでの苦闘のお話しは心に残りまし
た。「文章とは本当に不思議なものだ」と。『泥の河』を
書くことで『蛍川』の欠点がわかった、それで130枚の
原稿が98枚になるまで削った、しかし師事していた池上
義一さんから5行ほど余分だといわれ自分で見つけろと、
どれも削れない、謳っているところがある、2行削った、
あとはわかりませんと。芥川賞を獲ったら海外旅行に連れ
ていくと約束して教えてもらうと、一番いいところを消さ
れた。約束は『ドナウの旅人』の取材旅行で果たす。。。
まるで一編の名作を読むようなエピソードでした。
あとは割愛しますが、富山に行って本当によかったです。
大切な思い出になりました。ありがとうございました。
マルコさん、次の機会には是非お会いしたいです。
テルニストの方のウキウキしたお顔を何人かお見かけしま
したが、声をかけられず失礼しました。レポをお願いします。
宮本輝ミュージアムに関わる大学関係者の方もお見かけし
ましたが、テルニストなのかしら?
北日本新聞社のスタッフ、関係者の皆さんには大変お世話
なりました。大成功おめでとうございました。
業を背負ってゴーゴー!
2006/1/29 (日) 08:35:30 - 五月山 - <メール送信> - No.1138461435
輝先生と津村先生の対談のなかで、なぜ小説を書くのかという
質問の最後に輝先生がお答えになられたのがタイトルのお言葉でございました
明るくおっしゃったお言葉のむこうには私が想像もできないような
ものがあると感じました
とにかく、いい小説を読んでください。古書店で探して手に入るようなものを・・・と
昨日の富山は車窓から観た越後湯沢での豪雪の景色とは全く違う天気で
訪れた人々を包んでくれるような気候でございました
演題は『小説の力』
予備校のお話から中ノ島図書館のお話へ
取り壊し予定だった図書館の建物が『星々の悲しみ』も関係して
今も現存しているとのこと
先生が生命をけずるような思いで書かれた小説が
何年か経ってそれを読む人間だけでなく、環境にも良い影響を
与えておられる
今、そのすごさに身がひきしまるような思いがしております
いつか、こちらの掲示板でも取り上げてくださった『山の人生』
(柳田國男著)の内容を紹介くださり、何度も何度も原稿用紙に御自分で書かれたと
いう御姿勢に我をふりかえりました
数年前、半年ほどお仕事を休まれたとのことでしたが
今も新刊を手にすることができるという喜びは大きいです
御講演、本当にありがとうございましたm(_ _)m
昨夜、自分の書いた書き込みを今朝読んでみて、恥かしくなりました
反省もこめて新たな一歩を踏み出します
そして、御講演で感じたことをもう一度考えてみようと思います
富山より帰ってきました
2006/1/28 (土) 21:57:32 - マルコ - <メール送信> - No.1138453052
今朝一番のサンダーバードで富山駅に着き、
雪がちらついていたので、タクシーで会場まで走りました。
すると、まだ誰もいなくて、一番のりでした。
一人でいたら、北日本新聞社の方が、お話を聞かせてくださいと
言って、大阪から来たこと、名前、年齢、仕事などを
誘導尋問されてしまいました(もしかしてワリさん?)
一番いい席で、拝聴しました。
輝先生の声は、まるでエベレストの山頂から聞こえてくるようです。
万人の人の心に響きます。。。どうもありがとうございました!
長いですが、行きたくても行けなかった方々の為に
2006/2/1 (水) 01:30:42 - Keiko - <メール送信> - No.1138724980
富山講演会レポート
絨毯の上を走らなくても大丈夫なのに
やっぱり走って、ベストな席を確保しようとする。
もぅ。ぐにゃりと転びますよ。
さて、待ちに待った輝先生、壇上中央の大きなスクリーンを
見上げながらご登場。
いやぁ〜自分の後ろ姿をこんなアップで見るなんて。。。と
笑いながら。
今日のお召し物は、ダークブラウンのスーツに
モスグリーンとイエローのストライプのネクタイ。
靴はぴかぴかの黒。
まだ会場の雰囲気はこれからほぐれて、温まろうとしている頃
「ここは笑う所ですよ。慈悲の心、同苦の心でね。」
いっぺんにほぐれて、笑いが起こる。
最初は小説家になるなんて、ゆめゆめ思わなかったが
浪人生の時、中ノ島図書館の自習室に出掛けていった。
そこが満員だったので、閲覧室の方へ向かった。
一般自然科学、フランス、ロシア、中国、イギリス、日本文学。。。
そこで167編の名書と出逢う。
18歳で触れた名作の数々。
右へ行くか左へ行くか。
閲覧室の方へ向かったから、今日の私があります(^^)、と。
一寸先は闇とは言うが、一寸先は光ということもある。
その中で読んだ、ドストエフスキー「貧しき人々」
心に響いた。それは言葉にはできない。
それが34歳の時、「錦繍」という小説を生み出すこととなる。
長い本でも最後まで読み通すコツは
退屈な箇所はとばすということ。
生まれて初めて書いた小説の第一作、第二作はとてもお見せできない、
冷蔵庫にしまっておきたくなるものだと笑いながら仰り、
その後「螢川」を書く。
どこをどう直していいのか分からずにいると
「若い内は、別のネタも書けんといかん。」と
池上義一先生に言われて、いったんそこから離れて
「泥の河」を書く。書き終えると「螢川」のどこをどう直すかが分かったと。
130枚が98枚になり
「あってもなくてもいい文章は削れ。」と池上先生は仰る。
5、6行余分な所を自分で見つけるのに2ヶ月かかる。
更に
「高らかに、自分だけが気持ちよく謳っている所がある。5行ある。分かるか?」
2行は分かった。あとの3行はどうしても分からない。
3ヶ月かかった。
「もう降参か?」
すると一番「いい」と思っていた所をばっさりと削られた。
小説の力について、
「読む人に疼かせるものがあるかどうか。」
「この小説から何を得たのか。何があなたの思い出のよすがになったのか。」
「説明ではなく、哲学があるかどうか。」
他の芸術、音楽や絵画にももちろん「疼き」はあるが、
小説の力ということを考える時、文学と何か違いはあるか。
今日の講演会のタイトルについて、どうしてこんな大層なものをつけたのか後悔しつつ
事務所の若いスタッフ。。。「ハシモト」っていう人に訊いてみた。
「文学は考えないと読めない。」
受け手に「読む」という知的活動を要求する。
その人を考えさせなければ本当に心には入っていない、ということになる。
ただ疼くだけではなく、読むという知的努力によって得る疼きというものがある。
無名の兵士の目線から書かれた
大岡昇平『レイテ戦記』の中から
「レイテ島の土は
その声を聞こうとする者には
聞こえる声で、語り続けていくのである」
との言葉に、一瞬、私も考えてみた。
聴力。聴こうとする力。それから、読み取ろうとする力。
この本は読んだことはないが、そこに立ってここでどんな出来事があったのか、
亡くなった無名の兵士たちの声を聴こうとするならば、
私にも語りかけてくれるだろうかと
自分の姿に置き換えて、想像してみた。
柳田國男『山の人生』の
一人の木こりの、山の中に埋もれた
誰かが小説として書かなければ、誰にも知られることのない人生を書き残す、
という言葉が印象に残る。
いい小説を読む。
少しだけ自分の垣根を越えて、時代に耐えてきた名作を読む。
そうすることで、これからの10年、20年先は変わっていくはずだと仰る。
お話を拝聴して、私はとても元気になりました。
遠くても、やっぱり今日は来てよかったと
晴れ晴れと思いました。
私は絵を描く時、このお話をもう一度、自分の中で反芻しながら
「何の為に描くのか。」「言葉にできない疼きはあるか。」「哲学はあるか。」という
ことを
問いかけ、向き合うことになると思います。
先生、ありがとうございました。また大変にお疲れさまでございました。
北日本新聞社の方々、企画し、携わってくださった全ての方々に感謝申し上げます。
連続投稿、失礼します。m(_ _)m
2006/2/1 (水) 01:32:33 - Keiko - <メール送信> - No.1138725124
花のテーブルを囲み、2つの椅子と
少し脇に司会者の椅子が並べられている。
作家2人の公開対談というのは初めての機会だ。
左に津村先生、右に輝先生。
和やかに、文学と希望についての対談が始まる。
選者が輝先生になってから応募者数が激増しましたと
言われると、いやぁ、と笑顔で頭をかく輝先生。
短編の極意について津村先生が先にお話される。
「・・・ね。宮本先生はどう思われますか?って。先生、聞いてます?」
慌ててマイクを手に持つ輝先生。
漫談のようなタイミングに、会場は笑いが起こる。
もう一回はミネラルウォーターを
グラスに、津村先生の分を先に注いでから
ご自分のを注いで口元まで持って行くと
また「・・・で。宮本先生はどう思われますか?」
ごほごほとグラスを慌てて置き
「30枚というのは厳しい。
ベテランでもスカッと仕上げるには
大変な技量がいる。」と仰る。
宮本先生は、何故小説を書いているのですか?
という質問に
「いやぁ、それは言葉にはできないですねぇ。
口にしない方がいい。」
「小説を書かないと、ちゃんと生きてるという気がしない。
書くなと言われても、書いたでしょうね。
もうそれは一つの業みたいなもので。。。
業を背負ってGo!Go!ですよ。」
爆笑しながら、私はこんなにもあっさりと簡単に
「業」という重苦しい鎖のようなイメージを
一転して、何やら逞しい、どこかに光りさえ帯びているような
ものにしてしまった瞬間に、新鮮な驚きがあった。
それは今でも鮮烈に残っている。
私はもう少しだけ顔を前に向けて
生きていけると思った。
最近は芥川賞でも受賞する人が若い人が増えたが、
今の人達ってどうですか?と輝先生に質問が向けられると
「今の人達って私ですか?」と輝先生が顔に指差して訊き返すと
ちがうちがうと思いっきり津村先生は手を振る。
「若い人には下地がないが、例えば演劇をやってた人が
小説を書いてみる、ミュージシャンやってた人が小説を書くといったように
エリートにはない雑学がある。」
「いいものを読み、触発されて書く人が少ない。」と仰る。
津村先生が「螢川」をすごい文章ですね〜。
「繊細」で「清冽」で「華麗」で。
修行時代が短いと仰っていましたが、あれは修行というより才能ですね。
もうあの1册でもいいっていうくらいです。と絶賛される。
輝先生は、真っ赤になりながら
「いやぁ〜。螢川をこんなに褒められたのは、今日が初めてかもしれませんねぇ。」
「若書きというのは、その時にしか書けないものがあります。
同人誌では、けなす言葉ですが、ものすごく優れた若書きというのもある。
褒め言葉だと思いますね。」
螢川の最後も25歳だから書けた。
今だったら螢は飛ばさないでしょう。もしくは少し抑えて書くでしょう。と仰る。
津村先生の作品は説明ではなく描写されることに徹底されていらっしゃる。
物事や心の襞を冷徹に見るもう一つの別の目をお持ちですねと仰る。
芥川賞に応募される作品の傾向について、
10年前は劇画タッチだったり、TVゲーム的感覚の延長だったりした人達が
変わってきた。倦まず弛まず書き続けた人だけが、大人になって残ってきた。
よく新しい、という事が何でももてはやされるが
奇を衒ったり、文学の基本から大きく外れてしまった、お話にならないものもある。
新しいところから古くなる、というように
10年経って、それがいつも新しいと、もてはやされる訳がない。
新しいか古いかではない。人に感動を与えられるかどうか?
他者に対する想いの新しさ。
自分以外の人間に同苦する時、新しい何かが生まれる。
拍手の中、津村先生をそっとエスコートされて
輝先生は退場された。